聡明な人生を祈願する「惚け封じ」が有名な北海道東照宮
北海道東照宮は、北海道函館市陣川町に鎮座しています。函館山からは函館の街を挟んだ正面に見える山腹に位置し、函館市の中心部から少し離れた場所に祀られています。東照宮とは、東照大権現(とうしょうだいごんげん)の神号を得た、徳川家康(とくがわいえやす)公が祀られた神社のことです。東照宮と言えば日光東照宮(栃木県)が特に有名ですが、全国各地に東照宮は祀られており、北海道東照宮は北海道では唯一の東照宮となっています。
江戸時代には幕府による「蝦夷地統治政策」の一環として、徳川11代将軍家斉(いえなり)公により建立された等澍院に、「外敵退散・鎮護国家・蝦夷地繁栄」を祈願して東照大権現が祀られていました。その後、五稜郭の建設に伴い鬼門守護として、東照大権現を遷座する形で創建されたことが北海道東照宮の始まりです。当時は「蝦夷日光」と呼ばれ、崇敬を集めていました。
北海道東照宮では家康公の遺徳にあやかり、自身の心を律し命尽きるまで聡明な人生であるように祈願する「惚け封じ」が有名です。惚けとは、ぼんやり鈍るという意味があります。家康公は幼少期のほとんどを人質として過ごし、周りの顔色を窺いながら生きてきたことでしょう。桁外れの忍耐強さ・自制心・賢さで、戦国乱世に終止符を打ち天下人となりました。ぜひ北海道東照宮に参拝し、「惚け封じ」をして楽しい人生を歩みたいものですね。
北海道東照宮の特徴
北海道東照宮は、幕末の1864年に五稜郭が完成すると、五稜郭から鬼門の方向にあたる上山村(現・神山稲荷神社)に、等澍院(様似町)から東照大権現を遷座して創建されたことが始まりです。この時、鎮座地の上山村は神山村に改名されました。明治2年に箱館戦争が起こり、北海道東照宮の社殿は焼失しています。
この箱館戦争においては、旧幕府軍は五稜郭の北方を防御拠点としていました。また、陣地として四稜郭と、北海道東照宮に権現台場を急造しています。五稜郭と四稜郭の中間に北海道東照宮が位置したため、砲台が設置され土塁が築かれたのです。しかし、新政府軍は「権現台場の砦を落とせば勝ったも同然」として、北海道東照宮は集中攻撃を受け戦場となりました。そして、官軍・長州藩兵の砲火を受け、北海道東照宮の社殿が焼失したのです。
しかし箱館戦争では、ご神体は奇跡的に火から免れ、大祐庵(現・祐寺)に移されました。ご神体の他には、勅額・石器(手水鉢)・華表(石柱)だけが残ったようです。現在の北海道東照宮の手水鉢には、箱館戦争での弾痕跡が残され、歴史を知る貴重なものとなっています。
明治7年には谷地頭に仮社殿が建立されますが、明治11年には元町へ、明治12年には宝来町へと鎮座地が何度か遷されています。そして、昭和9年に函館大火に巻き込まれ再び焼失し、湯倉神社へと遷されました。その後、仮社殿が建てられますが、台風により倒壊しています。昭和33年に西部地区に新社殿が完成するも、周辺地域のドーナツ化現象・人口流出により、平成4年現在の場所へ遷座されています。
東照宮は家康公の没後、幕府の推奨により全国各地に造営されました。江戸時代の東照宮の数は500社を超えるほどで、ピーク時には廃絶したお社も含め700社ほどあったことも確認されています。明治時代には政府の神道国教化政策により、「廃仏毀釈」という仏教排斥運動が全国に広まりました。また「神仏分離令」により、東照宮の廃社・合祀が起こります。
そのため、各地の東照宮は減少していきました。昭和40年の「東照宮350年式年大祭」に際し、「全国東照宮連合会」が結成されています。令和5年の時点では52社が加盟しており、石碑なども含め約130社が東照宮として存続されています。北海道東照宮はこのような時代の流れや、度重なる災害・遷座の中で、今でも地域の人々に守られ、ご神体が受け継がれ存続していることが大きな奇跡と言えるでしょう。
北海道東照宮のご祭神
ご祭神
東照大権現(徳川家康公)
境内社
水天宮
金刀比羅宮
御倉稲荷
北海道東照宮のご利益
北海道東照宮のご利益は、特に事業成功・開運招福です。徳川家康公は必勝・勝運向上、水天宮は子宝成就・安産祈願、金刀比羅宮は航海安全、御倉稲荷は商売繁盛などのご利益があります。また、境内には龍神様も祀られ、運気向上・職運向上のご利益があります。
北海道東照宮のどこが見どころか?
北海道東照宮は、東照宮の中でも最も有名な日光東照宮のような、大きな規模と秀麗さや華麗さはありません。それでも、小規模ながら風格が感じられ、徳川家の三つ葉葵の金色が目を引きます。緩やかなアーチを描く屋根などからは、宮大工による見事な技が感じられます。
北海道東照宮の境内は、空の青さと木々・芝生の緑に、社殿の朱色が調和した美しく心地よいご神域となっています。北海道東照宮は静かにゆっくりと参拝できる、おすすめの神社です。毎年6月には例大祭が行われ、この日ばかりは賑わいを見せます。お祭りでは松前神楽・子供神輿・奉納プロレスなどが催され、境内は多くの参拝客で活気に満ちます。
社務所前にはぷっくりと可愛らしい「たぬきの焼き物」があり、家康公が「たぬき親父」と呼ばれていたことが思い出されます。狡賢いイメージの狸ですが、家康公は戦乱の世を賢く生き抜いたのではないでしょうか。北海道東照宮を参拝して、ぜひ家康公の力強いご利益にあやかりましょう。
扁額
本殿の「東照宮」との扁額は、戦利品として箱館戦争の際に持ち去られていました。行方不明のままでしたが、箱館戦争から130年ほどたってから、岡山県・杉山藩の子孫の方により、変遷されています。扁額は金箔が施された縦150㎝・横80㎝の大きさです。社殿が焼失しているにもかかわらず、焼け落ちずに残された貴重な扁額です。
手水石
手水舎には、大きく立派な屋根が設けられています。そして、箱館戦争の弾痕が残された手水石は、遷座されるごとに移された歴史が感じられる貴重なものです。幕末から明治初期の激動の時代を肌で感じてみましょう。
純忠碧血神社
純忠碧血神社にはご祭神として、新選組の土方歳三(ひじかたとしぞう)・沖田総司(おきたそうし)・近藤勇(こんどういさむ)などが祀られています。純忠碧血神社は北海道東照が、今の鎮座地になってから15年記念事業として、2007年に創建された新しい神社です。
惚け封じ
北海道東照宮では参拝をする際に、ぜひ「惚け・ボケ」の両方を封じられるよう祈願しましょう。様々な誘惑に惚けず、知力も体力も衰える長い人生においても、家康公のご遺徳にあやかれます。強い自制心により、家康公は天下人となりました。心を律して人生の最後まで、聡明な人生を送れるように「惚け封じ」しましょう。拝殿の柱の所に備えられた香炉にお線香をあげて、煙を浴びながら祈ると良いそうです。
北海道東照宮の一番パワーのある所
北海道東照宮では、拝殿前が一番パワーがあります。社殿が焼失してもご神体は守られた、パワーある北海道東照宮で家康公のご利益にあやかりましょう。
まとめ
北海道函館市陣川町に、北海道東照宮が鎮座しています。五稜郭建設に伴い鬼門守護として、東照大権現を遷座したことが北海道東照宮の始まりです。箱館戦争では社殿が焼失していますが、ご神体や扁額などが奇跡的に今でも残されています。手水石は箱館戦争の弾痕跡が残された、歴史的にも貴重なものです。北海道東照宮は「惚け封じ」が有名で、家康公のご遺徳にあやかり、人生の最後まで聡明でいられるよう参拝してみてはいかがでしょうか。
ライター 梅花桜花
基本情報
住所:〒041-0833 北海道函館市陣川町82-153
TEL:0138-32-2221
定休日:無
拝観時間:24時間参拝可能
拝観料:無
アクセス:JR函館駅より 函館バス上陣川行き 「東照宮参道」下車 徒歩5分
駐車場 :有
HP:https://www.toshogu24.com/