芝大神宮


  

関東のお伊勢様「芝大神宮」
ビルやコンクリートに囲まれ、いかにも都会の神社そのものの「芝大神宮」。建物自体も新しく、境内も決して広くはありません。ところが実際は、創建が平安時代までさかのぼる、1,000年以上の歴史を誇る都内有数の神社なのです。

「関東のお伊勢様」としても知られ、宝くじにまつわる金運や、江戸時代から伝わる縁結びの縁起物など、ありとあらゆるご利益がいただけるパワースポットです。魅力あふれる芝大神宮について、由来やご利益、見どころまで詳しくご紹介していきましょう。


  

芝大神宮の歴史
はじまり
平安時代の1005年10月21日に武蔵国、飯倉に当宮・芝大神宮が創建されました。現在の芝公園にある「芝丸山古墳」周辺の地名が飯倉と呼ばれていたことから、当時は「飯倉神明宮」とも称されました。

武士の時代になると、源頼朝、北条氏直、足利尊氏、太田道灌など名だたる戦国武将たちが参拝に訪れます。後に、豊臣秀吉、徳川家康も崇敬しました。

1598年、徳川家の菩提寺である増上寺移設に伴い、現在の地に遷座することになります。増上寺の門前に建てられたことで、大江戸の大産士神として多くの参拝客が足を運ぶようになりました。歌川広重の錦絵にも当時の賑わいぶりが描かれています。

また、東海道の江戸市中や市外の境目に位置することから、旅行者からも信仰を集めることになります。当時はお蔭参りの伊勢参りが大流行しており、金銭や体力的な面で伊勢まで行けない人たちからは「関東のお伊勢様」として人気がありました。

参拝客が増加すると、周囲に商店が多く立ち並ぶようになります。にぎやかな芝エリアが町の中心として栄え「芝神明宮」と呼ばれるようになりました。

1868年(明治元年)、東京奠都により畿内22社の勅祭社と並び、東京近郊の12社は准勅祭社となり、芝神明宮もそのうちの1社に加わります。1870年(明治3年)に准勅祭社の制度が廃止されると、芝神明宮は府社になりました。1872年(明治5年)には「芝大神宮」の社号を正式に賜ります。

その後関東大震災、太平洋戦争など数多くの苦難に耐え、氏子や崇敬者に支えられ、激動期を乗り越えていきます。

1975年(昭和50年)、かつての准勅祭社12社から遠方2社を除いた10社を対象に、東京10社巡りという企画が、昭和天皇即位50周年を記念し実施されました。東京10社とは、芝神明宮・日枝神社・根津神社・神田神社・白山神社・亀戸神社・品川神社・富岡八幡神社・王子神社・赤坂氷川神社を指します。行程約40㎞を1日でも1年かけても個人の都合に合わせて巡拝することができ、期限はありません。霊験あらたかな神社のひとつとして、国家に認められた神社となり現在に至っています。

ご祭神
主祭神は、天照大御神と豊受大御神です。天照大御神は、伊勢内宮に祀られる神で太陽を司ります。初代天皇「神武」が神話上天照大御神の5代にあたる「磐余彦」であることから、「皇祖神」つまり皇室の祖神として崇められてきました。八百万の神の最高位に位置し、日本の総氏神であると神社庁にも定められています。

豊受大御神は、伊勢外宮に祀られる神で食物を司ります。天照大御神の食べ物を調達する役目を担っていたとされています。相殿には、源頼朝公と徳川家康公が祀られています。

またかつての摂社、末社に祀られていた下記の神々も合祀されています。
・大国主命(おおくにぬしのみこと)
・事代主命(ことしろぬしのみこと)
・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
・菅原道真公

ご利益
伊勢神宮に祀られている主祭神の天照大御神、豊受大御神をはじめ、名のある神様たちが多く祀られているため、私たちが望んだご利益はすべて授かるのでは、と思われるほどたくさんあります。身体強健、病気平癒、金運上昇、商売繁盛、社運隆昌、良縁祈願、縁結び、勤務安全、旅行安全、家内安全、交通安全、厄除け、方除け、学業成就、受験合格。

また、江戸時代に発達した富くじの発祥の地でもあり、現在の宝くじとして受け継がれています。西銀座チャンスセンターは日本一の高額当選売り場であり、当選祈願にスタッフ一同が参拝していて、宝くじとご縁が深い金運の神様としても有名です。

また縁結びの神、出雲大社のご祭神「大国主命」が祀られていることもあり、最近では良縁を願う女性に大人気なパワースポットになっています。

本格的な神前式も行われています。11月中旬から2月中旬に1日1組限定で行われる篝火を焚いた「神あかり」と呼ばれる、幻想的な篝火挙式が特に注目を集めています。
 

芝大神宮の見どころ
大鳥居 
大きな「神明鳥居」という種類の鳥居が入口にあります。伊勢の大神など皇祖神を祀る神社は、ほとんどこの神明鳥居です。ゆえに伊勢鳥居と敬称で呼ばれることもあります。特徴としては、鳥居の中でも古式で飾り気のない、質素で直線的な形状をしています。伊勢神宮の大神が主祭神である芝大神宮でも、この神明鳥居が用いられています。

さい銭箱が石段下にあります。ビジネス街に位置する場所柄、主にサラリーマンが時間の合間を縫って上らずとも参拝をするために、ここにさい銭箱が置かれているようです。

狛犬
1880年頃に作られましたが、吽像の角がその後継ぎ足されたとかで、不釣り合いなぐらいの大きさになっています。台座基壇には、め組の喧嘩で歌舞伎の題材にもなった「め組」が書かれています。特徴ある狛犬の角と台座に注目して見てください。

手水舎
手水舎は神明造という作りになっています。特徴として4本の柱の外側に2本の柱を立て、その2本の柱で棟木を支える構造となっています。神明造は伊勢神宮にも用いられています。

貯金塚・貯金祭
「貯金王」として大正から昭和にかけて知られていた「牧野元次郎」(不動貯金銀行創業者)を偲び同氏の関係団体「不動会」が1957年(昭和32年)に高さ4メートルの貯金塚を建立しました。不動貯金銀行はすでにありませんが、現在はりそな銀行がその系譜を継ぐ銀行です。

石碑には「根気根気 何事も根気」と刻字されています。貯金も根気よく続けることが大事なのですね。文豪、武者小路実篤が牧野元次郎の功績を称え、自ら書き表しました。

また貯金祭が毎年10月17日に、芝大神宮で執り行われます。同じく10月17日は、神嘗祭(かんなめさい)が伊勢神宮で行われることから、これに由来したお祭りでもあります。「秋の実りに感謝し、実り(お金)を無駄遣いすることなく大切にする」という思いが込められています。

力石
平和な江戸時代には、石を持ち上げ力自慢を競う娯楽文化が盛んになります。特に、江戸時代後期には職業的な力持ちの力士の興行が行われるようになりました。

芝大神宮には、力石と呼ばれる石が置かれています。「五拾貫余 山口藤吉 慶応三年芝金杉川口町生」と力石に刻まれています。

山口藤吉は大変な力持ちで有名で、「金杉の藤吉」と皆から呼ばれていました。ちなみに五拾貫をキログラムに直すと、187.5キログラムにもなります。金杉の藤吉はこの石をなんと片手でさし上げた、との伝説があります。

百度石
手水舎の前に百度参りで用いられる「百度石」が置かれています。何としてでも叶えてほしい切実な場合などに、百度参りがされていたようです。本殿と百度石の間を念仏を唱えながら行ったり来たりと往来します。鎌倉時代の史書、吾妻鏡には百度参りの記述があることから古くから伝わる信仰だということが伺えます。

神明恵和合敢組(かみのめぐみわごうのとりくみ)
1890年(明治23年)3月に初公演された歌舞伎の演目名です。通称「め組の喧嘩」です。「芝神明」が第2幕に出てきますが、これは芝大神宮を指します。四ツ車大八と九竜山浪右衛門の2人の力士が、め組の若手衆と大喧嘩をしたという内容になっています。め組とは、南町奉行の大岡越前が組織した町火消しで、血気盛んな構成要員が集まっていました。

実はこの喧嘩、歌舞伎の演目ではなく、実際に芝大神宮境内で起こった乱闘事件でした。この事件は、町奉行、寺社奉行、勘定奉行までまきこみ大騒ぎとなります。

ところが、奉行が下した裁きは意外なものでした。火の見櫓(ひのみやぐら)の早鐘(はやがね)に使用した半鐘が、自分で勝手に鳴り出したことが発端で、喧嘩が始まったというのです。驚くことに、この半鐘が島流しという判決になります。喧嘩両成敗が本来は常套なのですが、誰も生死に関わるお咎めなしという、情け深い名奉行大岡越前ならではの一件落着となりました。

め組半鐘祭
さて、この半鐘ですが本当に三宅島に流されてしまいました。半鐘は、明治時代に芝大神宮に戻され、毎年2月の節分祭で展示されています。節分祭では罪を一手に引き受けた半鐘を供養するため、「め組半鐘祭」が行われるようになりました。

 生姜塚
芝大神宮が創建された一帯は、生姜畑に囲まれていました。生姜を神前に献上し、下ろした生姜を縁起物として参拝客にも売り出されていました。江戸時代に芝大門に鎮座した後も、この風習は引き継がれ「生姜市」と呼ばれています。歌川広重の絵画にも、生姜市の様子が描かれています。

だらだら祭り
芝大神宮の例祭で9月11日から21日の11日間、開催されます。「関東のお伊勢様」と言われた芝大神宮はお祭りに訪れる人が後を絶たないため、期間も次第に長くなり、それを見た江戸時代の人々は通称だらだら祭と呼びました。

この祭では、健康祈願として古来より生姜が配られていたため、現在でも祭の期間は生姜が売られています。このため「生姜祭」とも呼ばれています。

また2年に1度、神輿連合渡御(みこしれんごうとぎょ)が行われます。「め組」の木遣りを先頭に、20基の神輿が繰り出して神社周辺を練り歩き、クライマックスを迎えます。
 

芝大神宮の特にパワーがある場所
本殿
境内の広さはコンパクトですが、庭園は美しく都会のオアシスで癒しの空間になっています。特に早朝は空気も澄んでおり、本殿より清らかなエネルギーが流れてきます。通勤途中のサラリーマンも、順序よく何人も並んで参拝している姿をよく見かけます。参拝後は、神様の力によって払い清められ、清々しく感じることができるでしょう。
 

芝大神宮のお守り
千木筥
だらだら祭では、千木筥(ちぎばこ)と呼ばれる縁起物が授与されます。江戸時代より、千木筥を手に入れると良縁に恵まれると多くの女性に愛されてきたお守りです。神殿の屋根に使った木で作られており、花のような模様の木の箱が3つ重なっている形をしています。

これを箪笥にしまうと千木→千着つまり服が増える→良縁に恵まれるという意味合いがあるそうです。実際に千木筥を購入したら結婚できた!という喜びの声も多く寄せられているそうですよ。

ちなみにこの3つの木箱はバラバラにすることもできます。それぞれの箱の中には1~3個の大豆が入っています。千木筥は普段でも社務所で授与されているので、東京のお土産に購入してはいかがでしょう。

ただし、この千木筥は、職人さんの手で1つ1つ作られ、その職人さんも現在はおひとりだけだそうで出来上がる数に限りがあります。並ぶとすぐに売り切れてしまうそうなので、事前にチェックが必要かもしれませんね。

強運御守
芝大神宮で代表的なお守りと言えば強運御守です。強運と書きますが、きょううんではなく「ごううん」と読みます。強い運が持てるように御祈願されていますので、通常の運よりはるかに大きな運上昇のご利益があります。肌身に近い場所に常に持ち歩くことで効果がより一層発揮するそうですよ。

また、毎年デザインやカラーが変わります。その年の強運色に合わせて作成されているためで、男性用、女性用の2種類があります。

ちなみに2022年(令和4年)の幸運色は次のとおりです。
男性用 若紫、天色、橙色
女性用 黄金、ひすい、紅赤


 

まとめ
いかがでしたでしょうか。気を付けないと通り過ぎてしまいそうなほど、ビルの間にひっそりとたたずんでいる神社ですが、たくさんの魅力がギュッと詰まっていますね。オフィス街の中心にあり、アクセスも良いので近くにお越しの際はぜひ足を運んで、境内のエネルギーを体感してください。

ライター/サクヤ凛
 

基本情報
所在地:東京都港区芝大門1-12-7
電話番号:03-3431-4802
最寄り駅:JR川越線・八高線「高麗川駅」
アクセス
・都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門駅」A6出口徒歩1分、
・JR山手線・京浜東北線「浜松町駅」北口徒歩5分、
・都営地下鉄三田線「御成門駅」徒歩5分
駐車場:あり(無料20台分)
主祭神:天照皇大御神、豊受大御神
創建:1005年(寛弘2年)
社格等:東京十社、旧府社、准勅祭社
総本社:伊勢神宮(三重)
公式HPhttp://www.shibadaijingu.com/

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