美しい朱色の鳥居が続く渋谷の「豊栄稲荷神社」
かつて渋谷一帯は、のどかな農村地帯が広がっていました。農耕神である稲荷神はその当時から慕われ続け、現代にもその思いは受け継がれています。石鳥居の向こう側には稲荷神社らしく、朱色の鳥居がずらりと並びます。
小さなこぢんまりとした神社で渋谷の街中にありながら、訪れる人も少なく静かで落ち着いた印象です。今回はお稲荷さんを祀り美しい朱色が映える、豊栄稲荷神社をご紹介します。
豊栄稲荷神社の歴史
はじまり
豊栄稲荷神社は、現在の金王八幡宮をお祀りした渋谷氏の祖、河崎土佐守基家の曾孫の高重により鎌倉時代に創建されました。元来、渋谷氏は現在の渋谷一帯を領地としていたため、渋谷の地名の由来とされています。
当時、豊栄稲荷神社は、渋谷川のあたり渋谷駅近くにありました。渋谷川が渋谷城の壕に利用されていたこともあり、江戸時代文化の頃までは「堀ノ外稲荷」と呼ばれます。その後、「田中稲荷」と称され、川の端にもあったため「川端稲荷」とも呼ばれてきました。
昭和27年には道玄坂上にある「豊澤稲荷神社」が合祀されます。豊澤稲荷神社は、元猿楽町京極家の下屋敷に祀られていましたが、明治元年道玄坂上に遷座し中豊澤にある稲荷祠の多くを合祀しました。
東京都の区画整理事業が行われた昭和36年10月、現在の地に移り名前も「豊栄稲荷神社」となります。朱塗りの美しい社殿が昭和47年に造営され、約50坪の道場を中心とした「藏脩館」という名の研修道場が昭和50年に建設されました。現在は、隣に鎮座する「金王八幡宮」の兼務社になっています。
ご祭神・ご利益
ご祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。名前には、稲に宿る神秘の霊の意味が込められています。「うか」は古語で食べ物を指し、中でも稲霊を表していて、「み」は「神聖」を、「たま」は霊の意味があります。稲荷神として稲荷大社に多く祀られています。開運厄除、商売繁盛、子授安産、家内安全のご利益があるとされ、私たちの日々の暮らしの産霊(むすび)の神であり守り神として霊験あらたかな、ご神徳が高い神として古より崇拝されています。
豊栄稲荷神社の見どころ
千本鳥居
美しい朱色の千本鳥居が神社前の通りからも、確認することができます。全部で13本の鳥居があります。規模は小さいですが、渋谷とは思えない異空間が漂っています。皇紀二千六百五十年(1990年)を奉祝し、奉納されました。
社殿
鳥居をくぐると、同じく鮮やかな朱塗りの社殿が姿を現します。戦後に遷座したこともあり、鉄筋コンクリートの建造物です。境内はいつも綺麗に整備されていて、地元の人たちの篤い崇敬の思いが伝わってきます。
社殿には明治神宮の宮司さんが書かれた、扁額「豊栄稲荷大神」が掲げられています。社殿内にも扁額がありこちらは、「豊栄稲荷大神、田中稲荷大神」と掲げられ、2社が合祀された歴史の一端を伝えています。
百度石
石段を上がると、正面入り口の鳥居の下に百度石があります。百度参りで使われる石柱です。百度参りとは、一度の参拝だけでなく百日間毎日参拝することにより、どうしても叶えたい願い事を、より成就するための祈願方法です。
ただ、百日もかけていられない急を要する願い事などもあり、簡素化され、1日で百度参拝するという形になりました。方法は、鳥居の入り口から社殿まで行ってお参りし、また入り口まで戻るを百度繰り返します。
俗に「お百度を踏む」ともいわれます。人に見られないように裸足で行うとより効果があるのだとか。百度石は回数を間違えないように目印とされていて、小石や竹串、こよりなどを百個用意して参拝のたびに社殿に1個ずつ置いていくとされています。
神狐像
端正で厳しめのお顔の神狐像が2体、あります。汚れも無く手入れもしっかりされて、赤い前掛けをしています。神仏の前掛けは、お地蔵さんが始まりとされています。不幸にして子供を亡くした親の思いが、その子供のよだれかけをお地蔵さんに掛けることにより、我が子を極楽浄土へ導いてくれると信じられていました。
その後信心深い人たちによって、自分の信じるものを大切にしたいという思いから、お稲荷さんにも前掛けの習慣が広がっていったようです。また赤は、太陽や血液の色であることから生命の色でもあります。古くから神聖で魔除けの効果もある赤は、特別な色とされ神社の鳥居や社殿に用いられています。
藏脩館(ぞうしゅうかん)
境内の左手にあります。藏脩とは書家である氏家史山が、中国の礼記(らいき)から学問の成長段階を示した言葉として選んだそうです。昭和50年(1975年)に建てられた研修道場で、学生たちが剣道の修練に励んでいる姿が見られます。
入り口には「使用の前後は、神様に感謝の心を込めてご神前に拝礼しましょう。」などと書かれています。境内にある道場らしく神様にも礼儀を重んじる姿勢は、ぜひ見習いたいですね。
豊栄稲荷神社の特にパワーがある場所
庚申塔群
境内の右手に庚申塔(こうしんとう)が13基、保存されています。江戸中期のものが多く、田中稲荷神社に置かれていた庚申塔が移転されました。庚申塔とは、庚申信仰に基づいた石塔です。
60日に1度巡ってくる庚申と呼ばれる日に眠ると、人間の体内にいるとされる三尸(さんし)という虫が体の外へと抜け出し、その宿主の罪や悪行を天帝に告げて寿命を縮める、との言い伝えがありました。
そこで、庚申の夜は一晩眠らずに過ごすという慣習が生まれます。皆が集まり行ったことを、庚申講(こうしんこう)と呼ばれていました。庚申講は仲間と飲食をして徹夜するため、社交・娯楽の場でもあったようです。庚申塔は、3年18回庚申講を続けた記念として建立されました。
100塔を目指して建てられた塔は百庚申といいます。仏教では青面金剛(しょうめんこんごう)が本尊とされるため、青面金剛を彫った庚申塔や、申は干支の猿の意味があることから「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な3猿を彫った庚申塔が多く見られます。
江戸時代では、道しるべも兼ねていたため、「めぐろ、こんわう道」と刻まれた庚申塔もあります。庚申信仰が、江戸庶民の日常に根付いていたことが垣間見えますね。像の形は様々でユニークな造形も多く、現在では渋谷区の有形文化財に指定されています。
すべての庚申塔の下部に、建立者の名前が刻まれています。中には「渋谷伝左衛門以下同姓」の名があり、旧領主だった渋谷氏との繋がりがあるのではとされています。
豊栄稲荷神社の授与品
ご朱印
境内には授与所と思われる建物がありますが通常は閉まっているため、道をはさんで隣接する金王八幡宮社務所でご朱印を拝受しましょう。旧字の正式名称で書かれたご朱印です。
まとめ
一の鳥居と、その奥13基の朱塗りの鳥居は奉納されたもので、手水舎の杓も個人名で奉納されています。手水舎の水も張られ、管理が行き届いていて清々しい空間です。昔から今に至るまで人々に愛され、慕われている神社だとわかります。
隣接する金王八幡宮の兼務社にもなっていますので、近くにお越しの際は金王八幡宮と一緒にお参りしましょう。
ライター/サクヤ凛
基本情報
所在地:東京都渋谷区渋谷3丁目4−7
電話:03-3407-8835
最寄駅:JR・東京メトロ銀座線・半蔵門線・東急東横線・田園都市線・京王井の頭線「渋谷駅」16C出口 徒歩5分(渋谷警察署裏)
駐車場:なし/近くにコインパーキングあり
公式HP:http://www.toyosakainari.com/
御朱印:あり/初穂料500円(神職不在の場合は金王八幡宮の授与所にて)
※金額は2022年3月時点のものであり、変更の可能性があります。