榴岡天幡宮

 

梅の木に囲まれる六芒星パワーに満ちた榴岡天幡宮
宮城県仙台市宮城野区に、榴岡天幡宮が鎮座しています。「杜の都の天神様」として、昔から多くの人々に親しまれ崇敬されてきた神社です。

天神様と言えば、学問の神様である菅原道真(すがわらのみちざね)公が祀られています。平安時代の貴族であり、学者であり、右大臣にまで上り詰めた政治家として有名です。道真公は詩歌・書道の神としても尊信され、弘法大師(こうぼうだいし)・小野道風(おののみちかぜ)と共に、書道の三聖としても知られています。

榴岡天幡宮は、初詣や神事、花見の季節など多くの参拝客で賑わいます。境内は道真公が愛した梅の木に囲まれ、仙台で一番早く開花し春を告げる梅の木も植えられています。

また、榴岡天幡宮は桜の名所で、隣接する榴岡公園とあわせて見事に美しい春を彩ります。平成元年には日本の都市公園100選に選ばれた榴岡公園内は、桜の他にも梅・椿・藤・萩なども植えられ、季節ごとの美しい彩りを添えます。榴岡公園は、仙台藩四代藩主・伊達綱村(だてつなむら)公が、枝垂桜など1,000本程も京都から取り寄せこの地に植樹したと言われています。榴岡天幡宮と榴岡公園は、共に深い歴史があり大切に守られてきたのですね。

近年、仙台の街は「星の街」として知られています。仙台藩の伊達家が四代に渡って、密かに仙台の街を魔除けとして六芒星の結界を張ったのではと推測されています。伊達家が置いた寺社を地図上で線で結ぶと、星の形・六芒星が現れます。榴岡幡宮は、六芒星の東の位置にあたります。

仙台の街はこの六芒星により、400年以上もの長い間守られ続けているパワースポットの街と言えます。六芒星のポイントにある神社は、パワースポットとしても人気です。

昔から全国各地に天満宮・天神様は祀られていますが、道真公がいかに篤く尊崇されていたかがわかります。幼少の頃より天才・神童と呼ばれた道真公は、波乱万丈な生涯を送りますが、やがて人々に神として崇められます。神童という言葉が、神の子という意味なのではと思えてきます。人生は全てが学びであると言われますので、学問の神である榴岡幡宮に参拝して清々しい日々を送りたいですね。 

榴岡天幡宮の特徴
榴岡天満宮のご祭神・道真公は、幼少の頃から神童と呼ばれるほど学問に優れ、やがて政治家としての手腕を発揮し右大臣にまで上りました。道真公の才能は、周りから嫉妬され、疎ましく思われていました。そのため、策略に陥れられて無実でありながらも大宰府(福岡)へ左遷されてしまいます。

道真公は無念を晴らせぬまま、その生涯を大宰府で終えました。大宰府での衣食もままならぬ厳しい生活の中でも、道真公は皇室のご安泰や国の平安、そして自身の潔白を天に祈り続けていたと言われます。そのため、道真公は学問の神のみならず、至誠の神とも呼ばれているのです。

道真公の没後、京都では災害や事故が相次ぎ、道真公を陥れた人々が次々と亡くなります。これにより人々は道真公の祟りだと恐れ、道真公の霊を慰めるため、京都の北野に天満天神を建立しました。天神とは災いを与える神、天満とは道真公の怒りが天に満ちたという意味です。道真公の怨念を鎮めるために造られた天満宮は、時が流れ人々の記憶も薄れていきました。現在は、天満宮は学問の神様として親しまれています。

榴岡天満宮の始まりは、平安時代974年、京都の山城国に創建されました。その後、現在の福島県(陸奥国宇多郡)、宮城県柴田郡川内村へと遷座を繰り返しています。そして1551年、現在の仙台東照宮の場所に遷座されました。仙台東照宮を建立した際は、仙台東照宮の東側へ移されます。

さらに1667年に仙台藩三代藩主・伊達綱宗公により、丹塗りの社殿と唐門を新らしく造営され、道真公の真筆を奉納し、現在の地・榴岡に遷座されています。

榴岡天満宮は、江戸時代1795年に落雷で火災が発生し、本殿・拝殿・楼門・神楽殿・鳥居などが焼失してしまいました。現在の社殿は、その頃に再建されたものです。落雷などの天災は道真公の祟りと言われ、天満宮は元々霊を鎮めるために建立された神社です。榴岡幡宮の落雷も、高天原より道真公が降神なさったのではと当時は囁かれていたようです。

社殿は総欅造りで、照星閣とも呼ばれています。明治9年の明治天皇御巡幸の際には、明治天皇がご参拝された由緒あるお宮です。平成17年に榴岡天満宮ご鎮座340年記念の一つとして、榴岡天神神輿講が創設され、平成19年より神輿渡御が行われています。地域の絆を深めること、子供達に地域貢献の伝統を引き継いで行くことなどを目的として御神輿の渡御を中心とした活動が始められました。

道真公は優れた能力こその波乱に満ちた人生でしたが、人々に篤く崇められ、これからも後世に永く語り継がれることでしょう。 
榴岡天幡宮のご祭神
ご祭神
菅原道真公 (学問の神)(至誠の神)
策略によって大宰府へ左遷された道真公は、のちのち無実が証明され「天満大自在天神」(てんまだいじざいてんじん)というご神号が贈られます。「天神さま」として崇められ、今でも人々に崇敬されています。 

榴岡天幡宮のご利益
合格成就・学業上達・就職出世・児童守護・道中安全・災厄除などのご利益があります。

「春告げ守」「合格鉛筆」など縁起のよい授与品があります。春告げ守りは、合格の春・良い知らせを告げてくれるお守りとして人気です。合格鉛筆には、色とりどりの5色の鉛筆が入っています。鉛筆は五角形で「ごかく=ごうかく」と縁起の良い鉛筆で人気があります。

ご祭神である道真公は子沢山で知られ、10人以上もの子供がいたと言われます。その子供たちはみな優秀で立派に成長し、学者の家系として長く繁栄したそうです。このことから、榴岡天満宮は安産、子育て、子供の神様としてご利益もあります。

 

榴岡天幡宮のどこが見どころか?
榴岡天満宮の境内には、芭蕉の句碑「あかあかと日はつれなくも秋の風」があります。この句碑は、仙台では最古の芭蕉の句碑で仙台有形文化財に指定されています。他にも歌碑や句碑が20ほどあり、道真公の「東風吹かばにおひおこせよ梅のはな あるじなしとて春な忘れそ」という有名な歌碑もあります。

そして、全国の天満宮や天神社で見かける「撫で牛」が、榴岡天満宮にも祀られています。道真公の生まれた年は乙丑(きのとうし)で、道真公の命日は延喜3年2月25日、丑年の丑の日でした。

道真公は牛にまつわる逸話もあります。道真公が太宰府に向かっていた時に、追手が道真公に斬りかかりました。その時、荒れ狂った白牛が飛び出し、追手の腹を突き刺し窮地を救います。

それから道真公の亡骸を、門弟が牛車に乗せて運んでいると、牛が動かなくなります。これは道真公のご遺言「牛のいくところにとどめよ」であるとして、そこに埋葬されました。その地は、現在の太宰府天満宮です。

道真公のゆかりの鳥、鷽(うそ)の逸話もあります。山道を歩いていた道真公が蜂の大群に襲われますが、鷽の群れが蜂を追い払いました。その後、道真公は鷽を大切にしたと言われています。

全国の天満宮や天神社で行われる鷽替え神事は、榴岡天満宮では毎年1月14日と25日に行われます。この神事では、旧年中の悪い成績、災難、嘘を「真っ赤なうそ」に替え、良い年になるよう祈願します。この神事では参列者限定で「真っ赤な鷽替え御守」を授けられます。授与所で出される鷽の一刀彫の中に、十数羽だけ「真っ赤な鷽」があり、それを授かった人は最良の年になると言われ大人気のお守りとなっています。

天満宮の神紋は、道真公とゆかりのある梅です。榴岡天幡宮にある梅の木は、美しい紅白の花が咲き春を知らせてくれます。

また季節ごとに美しい花々が咲く榴岡天幡宮で、ご神徳をいただきパワーをチャージしてみてはいかがでしょうか。 

榴岡天幡宮の一番パワーのある所
榴岡天満宮はパワースポットとしても人気で、仙台藩祖・政宗(まさむね)公を始めとする伊達家が密かに仙台に配置した仙台六芒星の東に位置します。六芒星によって結界を張り巡らせた仙台の街は、パワーに満ち守られています。その東に位置する榴岡天満宮は、全体が強いパワーで溢れています。

パワーのある榴岡天幡宮は、これからも永く人々に崇敬され続けていくことでしょう。

 

ライター:梅花桜花
 

基本情報
住所:〒983-0851 宮城県仙台市宮城野区榴ケ岡105-3
TEL:022-256-3878
アクセス:
・東北自動車道 仙台宮城ICから約20分

・仙台東部道路 仙台東ICから約15分
・JR仙台駅から徒歩15分
・JR仙石線  榴ヶ岡駅から徒歩3分
・地下鉄東西線 宮城野通駅から徒歩10分
公式HP:
http://tsutsujigaokatenmangu.jp/

 

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