五稜郭公園

 

五稜郭公園は五芒星で囲まれる巨大なパワースポット
北海道函館市の街中に、広大な五稜郭公園があります。明治維新の箱館戦争の舞台となった五稜郭の跡地です。五稜郭公園は「五稜郭跡」として国の特別史跡に指定されています。

五稜郭公園内は、多くの木々と堀に囲まれ自然豊かです。広々とした敷地は清々しい空気に包まれ、季節ごとの花々が咲き、人々の癒しの場として親しまれています。春は桜の名所として、多くの花見客で賑わいます。冬には、お堀の周りがイルミネーションで彩られます。また2010年には、箱館奉行所が復元され当時の雰囲気を味わうことができます。

五稜郭公園の外周は大きな星形です。陰陽道では、五角形の星は「五芒星」(ごぼうせい)と呼ばれています。星の形は、世界的にもよく魔術の記号として使われてきました。五稜郭公園はこの五芒星の形から、地上の魔よけの呪符とされ、邪気をはらう巨大なパワースポットとして知られています。

元々五稜郭は、蝦夷地の防衛の要として造られました。江戸時代の鎖国政策によって、200年以上に渡り日本は諸外国との国交を断ちました。しかし、幕末の1853年にアメリカのペリー艦隊が浦賀に来航し、日本との国交・開国を要求します。

そのため、1854年に幕府は日米和親条約を締結し、下田と箱館が開港しました。幕府は諸外国との窓口と、海岸の防備を行う役所として、函館山の麓に箱館奉行所を設置しました。その後、函館山の麓は函館山に登る外国人や、海からもよく見えるため、攻撃されやすい場所として箱館奉行所は移転されました。その移転先が、現在の五稜郭公園の場所です。

当時、蘭学者であり諸術調所教授役であった武田斐三郎(たけだ あやさぶろう)氏が、箱館に入港したフランスの軍人に教示を仰ぎ、西洋の城塞都市を参考にして五稜郭の設計が行われました。四方を土塁で守り固め、中央に役所を設置して、付近の川から水流を引き込むために、周囲を堀で囲む形で設計されました。

五稜郭は、当時は最新式で堅牢なつくりを極めていました。また、武田氏が設計した五稜郭には、風水思想や陰陽道が少なからず反映されているようです。

五稜郭公園は、幕末から明治維新の歴史的な場所となりました。激動の時代を生きた人々に思いを馳せながら、魔除けのパワースポットを散策してみてはいかがでしょうか。
 

五稜郭公園の特徴
五稜郭とは国内初の西洋式の城塞であり、星型の五角形の外観から名付けられています。当初の五稜郭は、亀田役所土塁という名称でした。

星型の5つの角は、稜堡(りょうほ)と呼ばれ、大砲を主要な防御武器として設計された城などに造られています。稜堡とは、いくつかの大砲を用い死角をカバーするように造られた突角で、16〜18世紀のヨーロッパの様式を、日本では幕末にいち早く五稜郭に取り入れました。

1864年に、7年の歳月をかけた五稜郭は竣工されました。2年後の1866年には、付帯施設などの全工事が完成しています。別所にあった函館奉行所は、この頃五稜郭に移転しました。幕末の大政奉還を経て、明治維新の新政府へと引き継がれるまで、五稜郭は蝦夷地の政治的に重要な拠点としての役割を成していました。函館奉行所は函館裁判所に変わっています。

明治元年、海軍副総裁・榎本武揚(えのもとたけあき)や土方歳三(ひじかたとしぞう)らが率いる、江戸湾から軍艦8隻と共に脱走した旧幕府脱走軍により五稜郭は占拠されます。これにより五稜郭は、戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争の舞台となりました。

その後、五稜郭は役所としての機能が失われ、明治4年に旧箱館奉行所庁舎・付帯施設棟などの大半が解体されてしまいました。明治30年までは明治政府の陸軍省所管となりますが、大正3年以降は一般に開放され「五稜郭公園」として現在に至ります。

昭和27年には、五稜郭公園は国の特別史跡として「五稜郭跡」の名称で指定されました。国の遺産として保護・保存措置により整備され、歴史ある公園となっています。平成22年には、公園の中央に江戸幕府の役所・箱館奉行所が復元されました。幕末当時の内部も再現され、奉行所とともに五稜郭の歴史を資料や映像によって展示されています。

また平成18年には、隣接して立つ五稜郭タワー展望台(高さ107m)が新しく再建されています。五稜郭の全貌はもちろん、函館の街並みや津軽海峡も眺望できます。

五稜郭公園は5.2haもの広大な公園で、憩いの場として多くの人々が訪れます。桜の季節には1,500本以上の花が咲き誇り、函館で有名な桜の名所です。お堀から手漕ぎボートに乗ってゆっくりと桜を眺めるのも美しく、また、桜が散る頃の花筏も趣きがあります。夜は桜がライトアップされ、幻想的な美しい世界に魅了されます。桜だけでなく、ツツジ・藤・スイレンなどの花々、秋の紅葉、冬の真っ白な雪景色と、季節ごとの色で美しく彩られます。

お堀の外周は1周が1800mの遊歩道となっていて、ジョギングやウォーキングを楽しむ多くの人々の姿が見られます。美しい五稜郭公園の自然を愛でながら散策するのも、爽快で清々しく楽しいことでしょう。
 

五稜郭公園のご利益
五稜郭公園は、五角形の星形が特徴的な城壁となっています。幕末に造られた城壁は、外部からの攻撃を防ぎ、死角をなくすために星形になりました。昔から星形には、魔除けの意味があります。この魔除けにより、五稜郭公園を訪れた人は運気が上昇すると言われています。
 

五稜郭公園のどこが見どころか?
函館の観光のシンボルでもある五稜郭公園は、四季折々に美しい景色を楽しむことができます。広々とした公園を散策するだけで、リフレッシュでき元気がでることでしょう。隣接する五稜郭タワーや、函館山ロープウェイなどから、五稜郭全体を眺めるのもお勧めです。函館の夜景は世界三大夜景の一つでもあり、美しい大きな地上の星を眺めてみてはいかがでしょう。

五稜郭公園内に復元された箱館奉行所は、今の時代では見られない贅沢な建材や資材がふんだんに使われています。欅の梁や、備後畳、手漉きの和紙張りの襖、床の間などの違い棚には欅の一枚板で漆塗り、天井裏には2mの梁など、ひとつひとつが見事なものばかりです。

五稜郭公園は、国の史跡なので厳しい開発規制がありました。そのため、石垣や土塁もよい状態で保存され美しいまま現存しています。

五稜郭公園内の箱館奉行所近くには、武田斐三郎顕彰碑が建っています。蘭学者である武田氏が、ヨーロッパ都市の城郭をモデルとして要塞を設計したのが五稜郭です。

この顕彰碑は、顔や頭の部分だけ撫でられ輝いています。武田氏にあやかり、撫でると頭が良くなると言われているようです。修学旅行生などが、次々に撫でているのを想像すると可愛らしいですね。武田氏の偉業は、今でも輝き続けています。

また、五稜郭に関わる有名な人物と言えば、新選組・副長の土方歳三です。箱館戦争で最後まで自分の信念を貫き、この函館での戦いの中で撃たれて35歳で亡くなりました。五稜郭タワーには土方氏の銅像が置かれています。

 

函館では、幕末から明治維新の歴史・函館戦争を後世に伝えるための「箱館五稜郭祭」というお祭りがあります。毎年5月の中旬頃に2日間に渡り開催され、土方歳三コンテストやパレードなどが行われます。五稜郭公園も会場となっています。

函館のシンボルでもあり、パワースポットでもある五稜郭公園を訪れてみてはいかがでしょうか。
 

五稜郭公園の一番パワーのある所
五稜郭公園は星型の五芒星で囲まれているので、公園全体にパワーが溢れています。その中でも最もパワーがある所は、五芒星の中心にあたる函館奉行所と言われています。

函館の地に刻まれた大きな呪符とも言える五稜郭公園を散歩しながら、邪気を祓い清々しく力強いパワーを全身で浴びてみてはいかがでしょうか。

ライター 梅花桜花
 

基本情報
住所:〒040-0001 北海道函館市五稜郭町44
TEL:0138-31-5505
アクセス:

・市電 五稜郭公園前下車 徒歩15分
・函館駅から バスで20分

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