稲佐の浜

 

八百万の神様をお迎えする稲佐の浜
島根県の海岸、「稲佐の浜」をご存知でしょうか。出雲大社の西方に位置し、白砂と青松が美しい景勝地であり、日本の渚百選にも選ばれています。また美しい景観ばかりでなく、神迎神事の浜として旧暦10月10日には、全国の神様をお迎えする神聖な行事が毎年、斎行されています。

国譲り、国引きが行われた場所であり、屛風岩や弁天島など見どころも満載です。今回は、神話の舞台で知られるパワースポット「稲佐の浜」をご案内します。
 

稲佐の浜の神話
国譲り
稲佐の浜は「伊耶佐(いざさ)の浜」が正式な名称です。古事記にも記され、伊耶は砂地を意味しているとされています。「国譲り」ゆかりの舞台にもなっています。

大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)は、素戔嗚尊(すさのをのみこと)に、娘である須勢理毘売命(すせりびめのみこと)の結婚と出雲の国造りの継承を認められ、その後出雲を立派な国へと造り上げることに成功します。

それを天上から見ていた天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、出雲の国がどうしても欲しくなり使者を度々遣わして、出雲を奪取しようとしました。そこで遣わされたのが、天穂日命(あめのほひのみこと)です。しかし、天穂日命は大国主大神の素晴らしさに心酔し、3年経っても天照大御神に何も報告しませんでした。

そこで、次に天若日子(あめのわかひこ)が遣わされますが、大国主大神の娘、下照比賣(したてるひめ)と結婚してしまい、8年経っても天照大御神に何も報告してきません。しびれを切らした天照大御神は、今度は力が自慢の建御雷神(たけみかづち)と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を遣わすことにしました。

2人の神が稲佐の浜に着くと、十拳剣(とつかのつるぎ)という大きな剣を逆さに立て、胡坐をかいて剣先に座り込み、大国主大神に国を譲るよう迫ります。大国主大神はそれに対し、「私1人では決められないので息子2人に聞いてください。」と答えました。

そこで、建御雷神と天鳥船神はまず美保関で漁をしていた1人目の息子、事代主神(ことしろぬしのかみ)に国を譲るよう迫ります。事代主神は国譲りを認めると、乗っていた船を青柴垣に変えその中へ身を隠してしまいました。

そこへ2人目の息子で力の強い建御名方神(たけみなかたのかみ)が現れ、出雲の国をかけて建御雷神(たけみかづち)と力比べをします。勝負は建御雷神があっけなく勝ち、負けた建御名方神は諏訪(長野県)まで逃げ去りました。現在も建御名方神は、「諏訪大社」の総本社にお祀りされています。なお、この2人の力比べは相撲の起源だとする説もあります。

これらの経緯により、大国主大神はついに国譲りを決断しますが、条件として2つ提示しました。先ず1つ目は、とても巨大な宮殿を建てること、これが出雲大社のはじまりとされています。2つ目は、天照大御神が目に見える現世を治めるが、目に見えない幽世は大国主大神が治めるようにする、ということです。

幽世とは、現実の世を写した世界といわれ、幽世からの神の恩恵により、現実の世の幸せが与えられるとされています。目に見えない人と人との縁や運命を、大国主大神が司っていることから、出雲大社は全国一の縁結びの神様として広く知れ渡るようになりました。

国引き
出雲国の成り立ちの神話が、もう一つあります。古事記や日本書紀では記されていない「出雲国風土記」に書かれている、出雲地方に伝わる独自の神話です。

出雲国風土記によると、大国主大神と同一神とされる八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)は、出雲の国は未完成で狭いため、他の国で余った土地を引っ張り継ぎ足して、広い国にしようとしたと記されています。引っ張ってきた場所は、北陸や朝鮮半島の新羅など遠方にわたり、その結果できた土地が現在の島根半島だといわれています。

またその時に、国を引っ張る際に使われた綱は、弓浜半島になったそうです。弓浜半島は、稲佐の浜から出雲市長浜にかけて、白砂と青松の美しい砂浜海岸が約3キロにわたり、弓状に続いています。出雲を語るには、すべて神話が基になっていて遥か昔の神話の時代をしのばせてくれます。
 

稲佐の浜の特にパワーがある場所
弁天島
ひと際目立つ、丸い島が稲佐の浜にあります。「弁天島」です。「べんてんさん」と、親しみをこめて地元の人から呼ばれています。かつては、はるか稲佐湾の沖にあり、沖ノ島や冲ノ御前とも称されていました。

昭和60年頃までは、波が島の前まで押し寄せていましたが、近年は砂浜が急激に広がりを見せ、今では歩いて島の後ろまで行くことができます。岩の上に、鳥居が見えます。神仏習合の時代は、「弁財天」がお祀りされていたため、島の名前にもなっています。明治以降は豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)がお祀りされています。

こちらの神様は、皇室と深いつながりのある神様で、妹は「玉依姫」(たまよりびめ)と称し、玉依姫が生んだ子は「神倭伊波礼琵古命」(かむやまといわれひこのみこと)といわれています。この、神倭伊波礼琵古命こそが、のちに日本で初代の天皇になる神武天皇です。

弁天島には残念ながら登ることはできません。弁天島の祠には鈴や、さい銭箱がなく下から見上げてお参りする形になります。夕日が沈む時間帯は、弁天島をシルエットに、神々しい絶景を見ることができます。弁天島は「日が沈む聖地出雲」のシンボルなのです。 

稲佐の浜の見どころ
屛風岩
出雲の国を造った大国主大神と建御雷神が、国譲りの話合いをした場所が「屏風岩」とされています。根本で二重になっている特徴があり、このことから屏風に似ているということでつけられたとの説もあります。大国主大神は、戦わずして話合いで国譲りをしました。和を尊しとする大国主大神の精神が、出雲の人のみならず、全国の人々から今も変わらず崇敬されています。

神迎祭
稲佐の浜が、全国的に知れ渡るようになった「神迎え祭」があります。出雲大社の中でも最も大きな神事「神在祭」の中の神事で、旧暦10月10日に、全国から八百万の神々をお迎えする神聖な場所が稲佐の浜であり、その重要な神事が「神迎え祭」です。1955年(昭和30年)に古式にのっとった儀式が百数十年の時を経て、復活しました。

夜19時から始まり、稲佐の浜には祭壇が組まれ、神火が焚かれて辺りは静寂につつまれます。神職により、2本の神籬(ひもろぎ)が奉納され、祈祷と祝詞が奏上されると日本海から来られる神々の御霊が神籬にお宿りになります。

純白の絹の布で神籬を覆い、龍蛇神(りゅうじゃしん)の先導により雅楽を奉奏しながら、神職や一般の人も含めて出雲大社へと向かいます。出雲大社の神楽殿では、神々のための巫女の舞が奉奏されます。

ここで、行列に参加してきた人たちも八百万の神々に拝礼することができます。玉串拝礼を行い、神々に挨拶をして自分を知っていただき、良きご縁とご利益をお祈りします。こうして1日目の神迎祭は21時頃に終了となり、17日までの神在祭へと引き継がれます。

塩汲み神事
毎月1日の早朝になると、地元大社町の人たちは、稲佐の浜で海水をくみその後、出雲大社と荒神社にお参りします。くんできた海水は笹の葉を用いて、神前と自分にまいて清めます。海水は自宅にも持ち帰り、神棚、仏壇、家族、玄関などにもまいて清めていきます。このような民間の風習が昔から途切れることなく今も代々受け継がれているのは、神様を身近に感じながら暮らしてきたからかもしれませんね。
 

まとめ
稲佐の浜は季節を通していろいろな表情を見ることができます。夏は海水浴でにぎわい、冬は荒れ狂う日本海、そして旧暦10月10日は、稲佐の浜に全国から神々が集まるパワースポットになります。神が集まるということは元々、神聖な場所だからということもあるでしょう。神話に思いをはせ、荘厳な島と美しい海を堪能してみませんか。

 

ライター/サクヤ凛
 

基本情報
住所:島根県出雲市大社町杵築北2711
駐車場:有り 普通車23台、軽自動車2台
アクセス:
・JR出雲市駅から一畑バス【日御碕線】で「稲佐の浜」下車、徒歩すぐ(約40分:1日4本のみ)
・一畑バス「出雲大社連絡所」から徒歩13分(約1km)
・出雲大社から車で3分
・出雲大社から徒歩15分(約1.2km)

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