熊野那智大社

那智山にある熊野神社の御本社「熊野那智大社」
熊野地方は和歌山県南部にあり、全国に約4000社ある熊野神社の総本山、熊野三山が鎮座する聖地です。熊野三山とは、熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社のことで、熊野川、那智の滝、ゴトビキ岩と日本古来の自然崇拝を起源としています。大自然のパワーの魅力に惹かれて手を合わせる人々の姿は、昔も今も変わることはありません。今回は、熊野三山のひとつであり那智山に社殿を構える、熊野那智大社をご紹介します。

熊野那智大社の歴史
はじまり
紀元前662年、のちの神武天皇である神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)一行が東征の際、現在の那智の浜である丹敷浦(にしきうら)に上陸し、光輝いている山を見つけます。その山に導かれ進んで行くと、那智の滝を発見しました。その滝に大己貴命(おおなむちのみこと)が現れ、ご神体としてお祀りします。

その後、光ヶ峰に熊野の神々が降臨し、那智の滝壺にお祀りしていましたが、317年、仁徳天皇5年、山の中腹に社殿を建立して、熊野の神々や那智の滝の神も含め十三柱の神を遷したのが「熊野那智大社」のはじまりとされています。奈良時代になると、仏教や修験道の聖地として栄え、神仏習合が進み全国に「熊野権現信仰」が広まりました。

平安時代では、「よみがえりの地」といわれ人生の再出発が踏み出せるともされていて、白川、鳥羽歴代上皇などは、熊野三山へ計100回以上も参詣しています。この時代は天変地異と疫病が続出していたため、死後の世界にも通じているとされた熊野に参詣すれば、死んでも再びよみがえると信じられていたからでしょう。

江戸時代に入ると紀州初代藩主の徳川頼宣が熊野三山復興に力をそそぎ、庶民も多く参詣するようになりました。その行き来している状態がまるで蟻(あり)の行列だったことから、「蟻の熊野詣」と例えられるまでに盛んになりました。

主祭神・ご利益
主祭神は、「熊野夫須美大神」です。くまのふすみのおおかみと呼び、別名はイザナミノミコトです。古名として新抄格勅符抄には熊野牟須美神とあり、夫須美(ふすみ)とは生成発展を意味すると同様に結びの意味もあります。

このため通称「結宮」(むすびのみや)と呼ばれていました。さまざまな縁や願いを結ぶご利益があります。

 

熊野那智大社の見どころ
ジャンボおみくじ
拝殿前には日本一のジャンボおみくじが置かれています。なんと長さは133センチもあり、那智の滝の落差133メートルに由来し作られました。おみくじを揺らすだけでも大変な大きさですが、大吉が出たら喜びもより大きいかもしれませんね。

見ごたえのある桜の木 
1年で1番美しいおすすめの季節は桜の季節です。代表される2本の桜をご紹介しましょう。

まずは、後白河法皇手植えの木を代々伝えた「枝垂桜」です。こちらは古図にも描かれています。熊野那智大社の枝垂桜は花の形が極めて小さいのが特徴で、格別に上品でありその姿が上臈に似ていると称されてきました。県指定の文化財であり毎年、3月末~4月初めに花を咲かせます。

2本目は秀衡桜(ひでひらざくら)です。熊野詣が盛んな時代では、遠方からも広く人々の参詣がありました。藤原秀衡も夫人と共に奥州から熊野詣をしました。その際に奥州より持ってきた山桜が秀衡桜と称されています。毎年4月20日頃になると、雲か霞かと見間違うほど一面に真っ白く美しく咲く珍しい花です。こちらも県指定の文化財に指定されています。

御縣彦社(みあがたひこしゃ)
導きの神様であり、より良い方向へと導く、八咫烏(やたがらす)をお祀りしています。正面には三本足の八咫烏の銅像が鎮座しています。三本の足はそれぞれ、天、地、人を表しているといわれています。天はすべての神々である天神地祇(てんじんちぎ)を示し、地は自然、大地のことであり、神々、自然、人はみな同じ太陽から生まれた兄弟であることを表していると考えられています。

樟霊社胎内くぐり
ご神木は、推定樹齢850年、樹高は27メートル、幹回り約8.5メートルある樟の巨木です。幹が空洞化しているので「胎内くぐり」ができます。願い事、氏名を記入した御摩木(300円)を持って通り抜けし、出口で護摩舎に納めます。

ご神木の老樟は、古来より樟の精にあやかり樟霊社として、無病息災、長寿を願う多くの人に崇められてきました。平重盛の手植えとされています。

扇祭り
熊野那智大社の例大祭で毎年7月14日に催されています。大社からもともと祀られていた滝へ神が里帰りする、という儀式です。数百年の杉がそびえる昼でもうす暗い参道に、ひと際映える12本の燃え盛る大松明の炎で、12体の扇神輿を清める豪壮なお祭りです。別名「那智の火祭り」とも呼ばれています。日本三大火祭りのひとつに数えられています。

宝物殿
熊野信仰は、自然、神道、仏教、修験道が折り重なり、独自の信仰を形成していきました。また、貴族、武士から庶民まで身分性別問わず、全ての人を救い、受け入れる聖地であり多くの参詣者が訪れています。熊野那智大社にはこのような歴史を裏付ける文化財や、祭具、記録など多数残されています。宝物殿には、バラエティーに富んだ貴重な宝物が展示していますので参拝の後に足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

 

熊野那智大社の特にパワーがある場所
本殿
一般的に参拝できるのは拝殿までで、本殿と烏石は、正式参拝をしないと入ることができない、神様に最も近い神域になります。ここからは、神職さんの案内をいただきながら、貴重なお話を聞くことができます。

玉垣内には正面に5つの美しい朱色の社殿が並び、左側に1つの社殿があります。第一殿から第五殿には各1柱、第六殿は八社殿と称されて、八柱の神々がお祀りされています。なお、主祭神の熊野夫須美大神は第四殿にお祀りされています。

第一殿 瀧宮(大己貴神)
第二殿 証誠殿(家都御子大神)
第三殿 中御前(御子速玉大神)
第四殿 西御前(熊野夫須美大神)熊野那智大社主祭神
第五殿 若宮(天照大神)
第六殿 八社殿(天神地祇)

烏石( からすいし)
八咫烏は太陽の中に住む霊力を持つ烏とされていて、導きの神様、交通安全の神様として崇敬されています。熊野の山奥で道に迷っていた、後の神武天皇一行を大和まで無事に道案内した八咫烏は、熊野の地に戻り、石に姿を変えて休んでいるとされています。

その後、神武天皇は大和に辿り着き日本を統一して、大和朝廷をつくりました。そのいきさつを見ると改めて、熊野の土地や八咫烏が日本誕生に大きく関わっていたことがわかるでしょう。

「那智山宮曼荼羅」という絵には室町時代の那智山が表現され、烏石も本殿に囲まれるように現代と同じ場所に描かれています。なお、八咫烏が石に姿を変えたとされる烏石は触ることができます。直でパワーを受け取り、運気アップへと導いていただきましょう。

まとめ
通常のルートでは、熊野那智大社へは那智山バス停、もしくは駐車場から467段の険しい階段を登っていかなければいけません。だからこそ、熊野那智大社から見る景色は絶景で、より神秘的な場所になっています。標高500メートルから見る那智の滝も素晴らしい眺めです。大自然にたたずみ古来から多くの人を魅了してきた熊野那智大社に、あなたもぜひ訪れてみませんか。

ライターネーム/サクヤ凛

 

基本情報
*住 所 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
*TEL     0735-55-0321
*営業時間 8時~16時30分(宝物殿は8時30分~16時)
*定休日 無休(宝物殿は水曜)
*料 金 境内自由(宝物殿は300円)
*アクセス 公共交通:JR紀伊勝浦駅→熊野御坊南海バス那智駅経由那智山行きで30分、
バス停:那智山下車、徒歩15分
車:紀勢道熊野大泊ICから国道42号経由50km1時間
*駐車場 あり/30台/800円
*公式HP   社殿案内(那智御瀧)|熊野那智大社 (kumanonachitaisha.or.jp)

(新型コロナ感染防止のため変更がある場合もありますので、あらかじめ最新の情報をご確認ください。)

 

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