宮城縣護国神社

 

仙台城の本丸跡にある宮城縣護國神社
宮城縣護國神社は、宮城県仙台市青葉区の仙台城址公園内に鎮座しています。青葉山と呼ばれる丘陵の、かつて伊達政宗(だてまさむね)公が築いた山城・仙台城の本丸跡です。

仙台城は、青葉城という上品で美しい雅称でも親しまれています。また本丸跡には、政宗公の騎馬像があることでよく知られています。

伊達家の居城・仙台城は、明治時代に入り明治政府の改革である版籍奉還によって、東北鎮台の本営地となりました。この時に、仙台城の本丸は破壊されています。この本丸の跡地に、明治37年明治天皇のご意向により「招魂社」が建立されました。これが現在の、宮城縣護國神社の始まりとなっています。

明治維新以降、戦役や事変、そして世界大戦という未曾有の国難が起こりました。ただただ日本を愛し国や国民を守る為に尊い生命を捧げられた、多くの英霊が宮城縣護國神社に祀られています。

小高い場所に鎮座する宮城縣護國神社から、杜の都である仙台の街並みや、太平洋までも眺めることができます。美しい夜景も見どころであり、絶景の観光スポットとして人気です。

宮城縣護國神社は、第二次世界大戦での仙台空襲で旧社殿は焼失しています。現在の本殿は、戦後すぐに伊勢神宮の別宮・風宮を移設して復興されました。拝殿は朱色が鮮やかで、重厚な美しい造りとなっています。

近年、仙台の街は「星の街」と呼ばれています。政宗公が築城してから400年という時を経て、仙台の街は六芒星の結界を張り巡らせて、守っていたのではないかと言われています。

この仙台城址である宮城縣護國神社は、その六芒星の南西(裏鬼門)にあたります。東北(鬼門)の方位には仙台東照宮、北には青葉神社、南東に榴岡天満宮、北西に大崎八幡宮、南に愛宕神社が位置しています。この六つの神社を線で結ぶと、地図上に六芒星の形が現れます。仙台藩や仙台の街を守ろうとした、伊達家の思いが伝わってきます。

時代の流れで、仙台城から宮城縣護國神社に変わりました。伊達家は藩の人々を守り、宮城縣護國神社に祀られた英霊は国の人々を守って下さいました。

それぞれ守るという共通の強い思いがありました。今日の日本があるのは、こうした先人たちのお陰なのだと胸が熱くなりますね。
 

宮城縣護國神社の特徴
日露戦争中の明治37年、仙台城址に「招魂社」が建立されました。大日本帝国陸軍・第二師団管下(第2師管:宮城県・福島県・新潟県)と、山形県の戦死者の一部を祀ったことが宮城縣護國神社の始まりです。昭和14年の内務省令により内務大臣指定の護国神社となり、「招魂社」から現在の社名に改称されました。

第二次世界大戦中の昭和20年には、仙台空襲により社殿を焼失しました。そのため、ご神体は市内の秋保神社・仮宮に遷されました。戦後、連合国軍占領期には、仙台城二の丸を中心に進駐軍が隣接していたため、「宮城神社」と社名を変えます。進駐軍が去った後の昭和32年に、再び現在の社名に戻りました。

仙台空襲の戦火で消失した宮城縣護國神社の本殿は、伊勢神宮の外宮・風宮の旧御正殿を移築しています。伊勢神宮で昭和28年に神宮式年遷宮が行われました。

そして、伊勢神宮の特別な計らいによって昭和30年、東北に初めて下げ渡された尊い本殿となりました。日本民族の祖神である伊勢神宮ですから、とても貴重な本殿です。本殿の建築様式は、掘立式で棟の左右を棟持柱で支える唯一の神明造です。伊勢神宮よりそのまま移築していますが、屋根には萱葺を銅版葺にしています。

仙台と言えば仙台藩・伊達家ですが、仙台城址は戊辰戦争で官軍に占領され、また第二次世界大戦後の米軍の仙台進駐など、政府側の軍事拠点が置かれていました。宮城縣護國神社は、明治時代以降に朝廷・政府側の立場で命を捧げた人々をご祭神としております。そのため、戊辰戦争に敗戦して賊軍となった仙台藩士は祀られていません。

戦で没した仙台藩士は、政宗公の霊廟「瑞鳳殿」の方、明治10年に建てられた「弔魂碑」に祀られています。仙台城址に仙台藩士が祀られていないことは複雑な思いですが、時代の流れや深い歴史が感じられます。

こうした時代の過渡期を知る中で、改めて昔の人々への感謝、そして今生かされていることへの感謝の念が沸いてきます。
 

宮城縣護國神社のご祭神
明治維新以降の諸事変・戦役における宮城県関係、または縁故のある戦死・殉難者の英霊、5万6千余柱が祀られています。

境内社 別宮「浦安宮」
右宮には、
・天照坐皇御神(あまてらすおおみかみ)
・豊受媛大神(とようけひめのおおかみ)
・級長津比古神(しなつひこのかみ)
・級長戸辺神(しなとべのかみ)
四柱が祀られています。

左宮には、
・白水稲荷大神(古くからこの地に鎮座する神)
・仙台藩の藩祖・伊達政宗公
二柱が祀られています。
 

宮城縣護國神社のご利益
宮城縣護國神社のご利益は、家内安全、商売繁盛、交通安全などがあります。また仕事運や金運の上昇祈願に、会社経営・商売をしている方々も多く参拝に訪れます。

宮城縣護國神社では、新年の参拝者に人気の「福矢」が授与品にあります。福矢には福的がセットで付いていて、福的に願いごとを書くとそれは必ず叶うと言われています。この福矢は、幸せを授ける「福娘」から手渡されます。福娘は、毎年一般公募から選ばれ一生に一度きりしか選ばれません。新たなる年の願いや思いを的に託して、一年の幸せを射止めましょう。

また、厄難消除御守(ひょうたん付き)というお守りも人気があります。ひょうたんに自分の氏名・年齢を記入し、ひょうたんの中に身体の中の悪いものを吐き出すように息を吹き込んで封じ込めます。境内にひょうたんの掛所があり、吐きだした厄難を置いてきましょう。

宮城縣護國神社には、このような縁起のよい授与品が沢山あり福運をいただけます。 

宮城縣護國神社のどこが見どころか?
艶やかな朱色が美しい宮城縣護國神社、そして仙台の街並みを一望できる素晴らしい景観が見どころとなっています。

宮城縣護國神社は、平成16年に創立百周年を迎え、その節目にあたり英霊の遺徳を後世に正しく伝えるための「英霊顕彰館」が創設されました。激動の時代が始まった明治から昭和にかけて、戦史を追いながら、戦役・事変における英霊の遺影・遺書・遺品等が展示された貴重な資料館です。史上最大にして世界最大最強といわれた、戦艦大和の1/100のモデルも公開されています。

境内には、異国での戦いにおいて一滴の水も飲めなかった英霊へ水を捧げるための「鎮魂の泉」や、英霊への慰霊顕彰碑として「昭忠碑」が祀られています。

昭忠碑の上には羽を広げた迫力のある金鵄(きんし)が置かれていました。金鵄とは『日本書紀』に登場する、神武天皇による日本建国を導いた金色の鵄のことです。現在その金鵄は、東日本大震災により落下・破損したため塔の前に飾られています。

その昭忠碑の脇には、有名な伊達政宗公の騎馬像が置かれています。政宗公の築いた仙台城は日本100名城のひとつです。平成15年には国史跡に指定されています。

仙台城は、戦火をみることなく城の役割を終えました。その後、陸軍用地となり多くの建築物が解体され、数少ない遺構も仙台空襲により消失しています。現在は寅の門の部材だけが残る仙台城跡ですが、本丸の巨大な石垣は、何度か修復されていたため、震災にあっても大きな被害はなく現存しています。

遥か遠くまで望める美しい景観の中、昔の人々はどんな思いで仙台の街を眺めていたのでしょうか。宮宮城縣護國神社では、そんな深い歴史を感じられることも見どころと言えます。
 

宮城縣護國神社の一番パワーのある所
宮城縣護國神社は、六芒星の南西のポイントに位置しています。宮城縣護國神社の創建前は、政宗公が築いた仙台城でした。天下統一の野望を持っていた政宗公ですが、晩年は仙台藩の内政に尽力しました。政宗公の時代、仙台では地震や津波の被害を受けています。政宗公は、復興に向けてすぐさま動いたことでしょう。

当時の仙台城下には、伊達家の家臣と町人・商人などが六芒星に囲まれた所に住んでいました。街や人々を守るために、魔除けのシンボル六芒星の結界を張ったと言われています。

仙台城があったこの地には強いパワーがあり、そして六芒星の中にあります。宮城縣護國神社全体が、まさにパワースポットと言えます。

 

ライター 梅花桜花
 

基本情報
住所:〒980-0862 宮城県仙台市青葉区川内1番地
TEL:022-223-7255
アクセス:
・東北自動車道 仙台宮城インターより約20分
・仙台駅前より車で約10分

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