再生のご利益で有名な岩壁に埋め込まれた達谷窟毘沙門堂
国指定史跡である達谷窟毘沙門堂は、岩手県西磐井郡平泉町に鎮座しています。遡ること1,200年以上もの長い歴史があり、珍しいことに神社でありながら寺院でもあります。三つの鳥居をくぐり境内は厳粛なご神域であり、清々しい空間となっています。本堂のうす灯りの中、お香の香りが漂ってくる昔のままの神仏習合の社寺です。
達谷窟と呼ばれる霊窟に創建された毘沙門堂は、別当寺・達谷西光寺の根本道場です。境内には諸々のお堂と、鎮守社などが置かれています。
昔から毘沙門堂境内の生き物は、全て神使とされ固く殺生が禁止されています。達谷西光寺境内と厳格に分かれ、毘沙門様が主で別当寺は毘沙門様に仕へるのが勤めとなっています。そのため達谷西光寺には壇家は一軒もなく、寺でありながら弔いを行ないません。弔事などに出てしまうと、神事どころか鳥居をくぐることも許されないからです。
達谷窟毘沙門堂は、平安時代初期の武将・坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)によって創建されました。田村麿公は蝦夷(東北地方)を討伐した英雄です。田村麿公は、蝦夷征伐の戦勝祈願に清水寺に参拝しています。お堂の中には、鞍馬寺に習い108体もの毘沙門天をお祀りしました。
毘沙門堂は、東西150m・標高差35mの岩壁の下に埋め込まれるようにして建立されました。清水の舞台と同じ懸造で、九間四面の構造で朱色の柱が支える床下となっています。お堂床下の広々とした空間は、諸国を行脚する修行僧や山伏、落人などの休める場となっていました。落人は暫く身を隠し、生まれ変わる再生の場となっていたのです。
また、床下は先人の霊魂があの世から戻って集まる、聖なる場所とされています。現在も、立ち入りが許されない禁足地です。
「達谷窟の毘沙門様を拝めば、災いに遭うことなく、毘沙門様に引き寄せられて極楽に往ける」と言われ、人々から篤く信仰されてきました。達谷窟毘沙門堂のご本尊は、毘沙門天の化身とされる田村麿公です。お堂内陣の中央扉奥に祀られる慈覺大師が、田村麿公を模して刻まれたと言われる秘仏となっています。
達谷窟毘沙門堂は、源頼義(みなもとのよりよし)や、平泉に本拠を移した藤原清衡(ふじわらのきよひら)、仙台城主の伊達政宗(だてまさむね)などの武家により保護されてきました。
達谷窟毘沙門堂のある平泉は、2011年に「平泉の文化遺産」として世界遺産に登録されました。仏国土(浄土)を直接的に表した、建築や庭園の普遍的な価値が認められたのです。そして現在、「平泉の文化遺産」の追加として達谷窟毘沙門堂が候補に上がっています。この清らかな神域である達谷窟毘沙門堂は、後世に残したい歴史ある素晴らしい寺社です。
達谷窟毘沙門堂の特徴
田村麿公は、今から1,200年ほど昔の平安時代の武将で、朝廷から任ぜられ征夷大将軍として蝦夷を討伐した人物です。田村麿公の、鬼退治伝説は有名ですね。
奈良〜平安時代にかけて、朝廷は敵対する蝦夷に対して、幾度も兵をあげ東征していました。その度に、蝦夷軍の強い反撃に遭い撃退されていたのです。田村麿公を始め、大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)公の副将として東征します。その後、征夷大将軍となり再び東征しました。
田村麿公が大将軍として東征した当時、 蝦夷の頭である悪路王 (あくろおう)や、赤頭(あかがしら)、 髙丸(たかまる)らが 達谷窟に要塞を造り拠点としていました。悪路王は、良民を苦しめる数々の悪行を働いていました。女性や子供を誘拐し、宝物を奪ったり乱暴な事をしていたのです。国府も太刀打ちできずにいました。
ある時、悪路王らは、京都の葉室中納言の娘であるゆり姫を誘拐します。ゆり姫は、達谷窟の奥に監禁されました。そこで、桓武天皇は田村麿公に蝦夷征伐を命じます。悪路王率いる蝦夷の軍はとても強く勇猛な戦いぶりで、田村麿公は苦戦していました。
そんな戦況の中、戦の神様である 毘沙門天様が天から降臨され田村麿公に味方します。毘沙門様のご加護によって、田村麿公は善戦し悪路王らの征伐に成功します。そして、ゆり姫や多くの人々を救い出す事ができました。
田村麿公は、毘沙門様への感謝を捧げるために、悪路王の拠点であった達谷窟にお堂を建てます。お堂には108体の毘沙門様を祀り、窟毘沙門堂と名付け国を鎮める祈願所としました。これが達谷窟毘沙門堂の始まりです。まるで、おとぎ話のようですね。悪路王は蝦夷を治めていた族長で、悪路王という名は族長をそう呼んでいたのではないかと言われています。
朝廷から「蝦夷の地と民を朝廷に差し出すよう」という命令への反発により、悪路王率いる蝦夷軍と朝廷との戦いが起こったようです。朝廷の敵は鬼であり、田村麿公の鬼退治伝説として伝わったようです。
また、悪路王も悪者とされていますが、蝦夷の地を守ろうとしていただけのことだったのでしょうか。悪路王が悪行を働いたかは、史実では定かではありません。蝦夷と田村麿公の戦いは、多くの物語となって各地で伝承されています。
毘沙門堂建立は801年で、その翌年、神社を管理する別当寺として達谷西光寺が創建されました。境内は鎮守社や仏堂が混在した、神仏混合となっています。かつては広大な寺領を有し、源頼義・義家(よしいえ)父子が寺領を寄進、藤原清衡・基衡(もとひら)父子が伽藍を増築しています。
また、戦国時代の兵火で焼失した建造物は、伊達政宗公によって再建され、伊達家の祈願寺として寺領を寄進されました。のどかな景色の中にある岩窟が、激しい戦いの場となり、そして歴史的に価値のある素晴らしい寺社として長く守られてきました。
改めて今日があるのは、多くの人々の活躍と、犠牲があったからこそですね。達谷窟毘沙門堂から歴史の重みと共に、昔の人々への感謝の思いが沸いてきます。
達谷窟毘沙門堂のご本尊
毘沙門天
坂上田村麿公
坂上田村麿公の本地は、毘沙門天の化身と見なされています。達谷窟毘沙門堂は、「田村信仰」の発祥地です。平安時代の武人・英雄として、田村麿公は信仰されてきました。
達谷窟毘沙門堂のご利益
達谷窟毘沙門堂のご利益は、再生、金運、縁切りなどが授かれます。中でも再生のご利益でよく知られ、再生のパワースポットとして人気です。
また、達谷窟毘沙門堂でいただける護符に「牛玉寳印」(ごおうほういん)があります。最強のお札として知られ、護符を貼れば「悪鬼を払い福を招く」と言われています。
金運上昇を期待できる蝦蟆ヶ池辨天堂(がまがいけべんてんどう)や、厄除け・運気上昇すると言われる岩面大仏などもあり、様々なご神仏からのご利益が期待できそうですね。
達谷窟毘沙門堂のどこが見どころか?
達谷窟毘沙門堂は、春にはしだれ桜・秋には色づいた紅葉やいちょうなど四季折々に楽しめます。いちょうの葉で境内が覆われる晩秋、朱いお堂とのコントラストは美しく見事です。広大な境内全体が国指定史跡となっているので、見どころもたくさんあります。
岩面大仏
達谷窟毘沙門堂の左側の岩壁に、磨崖仏が刻まれています。高さ約16.5m・肩幅約9.9mもの大きな像で、国内では五大磨崖仏に入ります。
胸から下は崩落し「岩面大佛」、または、日本で一番北にあるので「北限の磨崖仏」と呼ばれます。その下の「文保の古碑」には、阿彌陀の真言「キリク」が刻まれています。源義家(よしいえ)公が馬に乗ったまま、弓張で彫りつけたと伝えられています。前九年の役と後三年の役で亡くなった敵味方の霊を供養するため、刻まれた磨崖仏です。
蝦蟆ヶ池弁天堂
蝦蟆ヶ池に浮かぶ小島には、貧乏神を封じ込めるために創建された弁天堂があります。慈覚大師が、川に浮かぶ浮島で貧乏神が五色の蝦蟆の姿に化けていることを見破ります。大師は浮島ごと毘沙門堂の前まで引いて、再び逃げ出さぬようにお堂を建立しました。弁財天を自ら刻して祀り、蝦蟆ヶ池辯天堂と呼ばれるようになりました。
蝦蟆ヶ池は神の池とされ、ここに棲む生きもの全てが神使いであり、特に蛇は尊く大事にされています。池にかかる橋は縁切り橋と呼ばれ、夫婦では渡らないほうがいいそうです。
姫待不動堂
悪路王らは、誘拐したゆり姫君を達谷窟の奥に閉じ込め、花見を楽しみました。その間に、ゆり姫が逃げると思い待ち伏せした瀧を「姫待瀧」、そして、再び逃亡しないようゆり姫の黒髪を切り、その髪を見せしめに掛けた石を「髢石」(かつらいし)と呼んでいます。
姫待不動は、智證大師(ちしょうだいし)が、達谷西光寺の飛地境内にある姫待滝の傍に本尊として不動明王を祀りました。江戸時代の1789年に、現在地に移されました。不動明王の大像は、桂材の一木彫で全国でも珍しい像です。平安後期の作品で、岩手有形文化財に指定されています。
金堂
講堂とも呼ばれる金堂が、802年に建てられました。明治時代初には、廃仏毀釈によって壊されます。現在の金堂は、昭和62年から再建を始め平成8年に完成しました。後世に技を伝えるために、桁行五間梁間六間の昔ながらの工法で再建されました。本尊の薬師如来は、眞鏡山の神木である松で造られています。
達谷窟毘沙門堂は霊験あらたかな霊場ですから、飲食や動植物の採取・殺生・ペットなどを伴っての参詣などは固く禁じられています。
達谷窟毘沙門堂毘沙門堂にお参りして、今も変わらぬ霊場の静かな佇まいを感じてみてはいかがでしょうか。
達谷窟毘沙門堂の一番パワーのある所
達谷窟毘沙門堂の、境内全体にパワーがあります。最も強いパワーと言われる所は、岩肌に埋め込まれるようにして建てられた毘沙門堂です。創建当時は、108体の毘沙門天が祀られていました。七難を避け七福を与えてくれる毘沙門天は、度重なる火災で焼失し、現在は新たな毘沙門天が30体祀られています。
遠い昔には激しい戦いの場であった達谷窟に、今は静かでゆったりとした時が流れています。生まれ変わり・再生のパワーを頂き、日々を楽しく生き生きと過ごしたいですね。
ライター 梅花桜花
基本情報
住所:〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉字北澤16番地
TEL:0191-46-4931
アクセス:
・東北自動車道 一関インターより車で約10分
平泉前沢インターより車で約15分
・JR東北本線 平泉駅よりタクシーで約10分
公式HP: https://iwayabetto.com/