亀田八幡宮

 

弾痕などの歴史の爪痕が残る亀田八幡宮
北海道函館市八幡町に、亀田八幡宮が鎮座しています。地元の人々から「かめはち」「八幡さん」と親しまれ崇敬されています。初詣や七五三など多くの人々が訪れる亀田八幡宮は、歴史ある神社として知られています。静かな佇まいの亀田八幡宮は、かつて箱館戦争での最後の舞台となりました。

明治維新の旧幕府軍と新政府との戦いの中、亀田八幡宮は榎本武揚(えのもとたけあき)氏が率いる旧幕府軍が降伏した地でもあります。旧幕府軍には、新選組で有名な土方歳三(ひじかたとしぞう)氏もいました。土方氏はこの箱館戦争で撃たれ亡くなっています。

亀田八幡宮は、そんな激動の時代を見守ってきました。ご祭神の誉田別命(ほんだわけのみこと)は武人の神で、この地で箱館戦争が終焉したことには意味があるのかもしれません。

函館の中では長い歴史のある亀田八幡宮の、現存する旧社殿(現・神楽殿)は函館最古の建造物となっています。そして、旧社殿には戦いの爪痕である弾痕が残っています。その旧社殿は正面に飛竜の彫刻があしらわれ、細部までこだわった彫刻が施されています。その下にも竜があしらわれています。

柱の左右上部には、獅子と獏の彫刻が施されています。残念ながら彫刻は破損しているものもありますが、函館最古の歴史がある旧社殿は大切に残したい建造物です。銃弾によってたくさんの穴があいた旧社殿ですが、今も境内にあり力強いパワーが感じられることでしょう。

歴史の爪痕が残る亀田八幡宮は、歴史が好きな方には魅力的な神社です。そして、歴史に興味がない方でも、歴史に興味を持つきっかけとなるかもしれません。ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。 

亀田八幡宮の特徴
亀田八幡宮の歴史は古く不明な点もありますが、室町時代1390年の創祀と伝えられています。河野加賀守森幸が、越前敦賀郡の氣比神宮 から八幡神を奉遷したことが始まりと言われています。また、笠原右源太によって奉遷されたという説もあります。

戦国時代には、領主であった蠣崎氏の祈願所でした。そして、1456年に起ったコシャマインの戦いにおいて、 武田信広(たけだのぶひろ) が祈願した所と言われています。コシャマインの戦いとは、アイヌ民族と和人(本州から移り住んだ人)との間で起きた戦いです。また、コシャマインとはアイヌ民族を率いた人物の名前です。

和人の鍛冶屋とアイヌの青年が、小刀の切れ味と値段が合わないとの口論の末、和人がアイヌの青年を殺害しました。そこで、和人に怒りを覚えるアイヌの人々が立ち上がりました。最終的に、コシャマインが武田氏に打たれて1年に及ぶ戦いが終結したという歴史があります。神社の歴史からも、和人より弱者であったアイヌ民族の暮らしが見えてきますね。

その後、武田氏の子孫により松前藩となった後も、和人とアイヌ民族との間では大きな蜂起が起こっています。

江戸幕府が開府した1603年には、亀田八幡宮の本殿・拝殿を建立した記録が残されています。亀田八幡宮は、江戸時代に松前藩の祈願所として定められました。幕末の1847年には、箱館奉行が大鳥居を奉納しています。

1863年に社殿が改築され、当時の社殿は旧拝殿として現存しています。この時に奉納された狛犬は、五稜郭や弁天台場の建設に携わった石工の井上喜三郎氏の作品です。

箱館戦争の最後の舞台となった亀田八幡宮の境内は、明治2年5月15日に戦場となりました。同17日には旧幕府軍と新政府軍との間で会見が行われました。そして、箱館戦争が終わりを迎えます。亀田八幡宮の神前で降伏の誓約を行い、翌18日早朝には旧幕府軍が新政府軍の元へ出頭し五稜郭は開城されました。

今でも、亀田八幡宮の旧社殿には当時の弾痕が残されています。その無数の弾痕から、当時の戦いの激しさが見て取れます。旧社殿は現存する函館最古の建物であり、現在は亀田八幡宮の神輿殿として利用されながらも貴重な遺構となっています。

亀田八幡宮の近くには、土方氏の最期の地「一本木関門」と呼ばれるお墓もあります。歴史的な大きな戦いの場となり、歴史上の有名な人物も亀田八幡宮の地を踏んでいたかと思うと、亀田八幡宮はいかに重要な神社であるかが分かります。

明治の初期、函館には亀田八幡宮と函館八幡宮の2つの八幡宮がありました。神社の社格を、崇敬社とする位置づけにおいて、この2社は争った時期もあります。亀田八幡宮は函館八幡宮より歴史も古かったのですが、氏子数の多い北海道総鎮守である函館八幡宮が格上げされました。

そもそも崇敬社としての位置づけは、札幌にある札幌神社(現・北海道神宮)が明治天皇の勅によって創建されたことにより問題が起こっています。

それぞれの神社に、それぞれの歴史があってとても興味深いですね。亀田八幡宮は、幕末から明治時代へと走り抜けた日本の深い歴史を感じられる貴重な神社です。
 

亀田八幡宮のご祭神
ご祭神

誉田別命 第15代天皇である応神天皇 武人の神、開拓・航海・漁業の守神
亀田八幡宮には、1柱が祀られています。

境内社
・函館薬祖神社
 少名毘古那命(すくなひこなのかみ)    薬・酒造・穀物・温泉の神

・亀田稲荷神社
 宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)   五穀豊穣・諸産業繁盛・農耕・商工業の神

 

亀田八幡宮のご利益
亀田八幡宮は、勝運・必勝・武運長久・厄除け・諸願成就・五穀豊穣・商売繁盛・災難排除・縁結び・安産・家内安全などのご利益を授かれます。

亀田八幡宮のご祭神は、誉田別命です。武人の神様として知られる誉田別命には、武芸上達・武運長久などのご利益があります。

教育大学の近くにあることから、合格祈願の参拝者も多くみられます。開拓・航海・漁業の守神でもあり、家内安全・交通安全にご利益があるとされています。
 

亀田八幡宮のどこが見どころか?
静かな空気に包まれた亀田八幡宮では、心が落ち着き穏やかな気持ちになれることでしょう。

亀田八幡宮は、夏詣(なつもうで)の頃になると茅の輪が祀られ、風鈴棚や花手水などで夏らしい涼やかな演出を楽しむことができます。人々に親しまれている亀岡八幡宮は、お宮参り・七五三などの人生の節目などに多くの参拝者が訪れます。初詣やどんど焼きなども、多くの人々で賑わいを見せます。

また、亀田八幡宮の例大祭は毎年9月中旬に行われています。約600年前から始まった伝統のお祭り「神輿渡御」は、男神輿・女神輿と2基の神輿を約100人ほどで担ぎ、市街地を2日間に渡り練り歩きお祭りは盛り上がりを見せます。

この時は境内に多くの露天が並び、ステージが設けられ、子供たちの明るく賑やかな笑い声が境内に響きます。このようなお祭りは、子供たちが大人になってからも、忘れられない懐かしく楽しい思い出となることでしょう。

亀田八幡宮の境内には、川がないのに小さな太鼓橋が架けられています。元々は境内を亀田川が流れていて、その名残の橋です。現在の亀田川は、飲料水の確保のため開削工事が行われ別所を流れています。昔、亀田八幡宮付近の水は海水で飲めなかったそうです。小さな橋からも、歴史の流れが感じられます。

2012年には「箱館戦争降伏式之地」と刻まれた、刀をモチーフにした記念碑が有志により建立されました。刻まれた題字は、旧幕府軍を率いた榎本武揚(えのもとたけあき)氏の曾孫のものです。亀田八幡宮の静粛なご神域で、激動の時代・歴史を感じられることも見どころと言えます。 

亀田八幡宮の一番パワーのある所
亀田八幡宮は、境内全体が厳かで清らかなパワーに満ちています。ぜひ参拝して、心休まる静かなひと時を過ごしてみてはいかがでしょうか。

ライター 梅花桜花
 

基本情報
住所:〒040-0083 北海道函館市八幡町3-2
TEL:0138-41-5467
アクセス:
・函館駅より 車で大沼国道・国道5号線経由  約8~10分
・函館駅より バス132系統に乗車し亀田町下車 徒歩で数分

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