古式ゆかしい熊野三山の中核的存在の「熊野本宮大社」
熊野本宮大社は、全国に数千社といわれる熊野神社の総本宮にあたり、熊野三山のひとつです。熊野速玉大社、熊野那智大社を含む熊野三山のなかでも、熊野本宮大社は古式ゆかしい気をとりわけ強く漂わせています。都、京都から多くの人がたどった熊野参詣道である、「中辺路」(なかへち)は特に険しい山道で有名です。
難行苦行の道のりをようやく歩き終えると、最初に熊野本宮大社にたどり着きます。「伏拝王子」(ふしおがみおうじ)といわれる由縁は、やっと到着することができた熊野本宮大社を伏し拝んだことから称されるようになりました。今回は昔も今も全国から多くの人が訪れるパワースポット、熊野本宮大社をご紹介します。
熊野本宮大社の歴史
はじまり
時は古代の時代、2000年ほど前までさかのぼります。本宮の地に神が降臨した、との熊野三山にまつわる不思議な伝説が残されています。
ある夜、大斎原(おおゆのはら)に3体の月が降りてきました。なぜこのような低い地に降りたのか人々が不思議に思い尋ねると、真ん中の月は「私は、家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)です。」と答えました。「両側の月は御子速玉之男神(みこはやたのおおかみ)と熊野牟須美神(くまのふすみのおおかみ)です。この地に社殿を造りなさい。」と神が人々に伝えたとのことです。
紀元前33年(崇神天皇65年)、熊野川、音無川、岩田川の合流点の中州の聖地、大斎原に社殿が建てられたことが熊野本宮大社の起源といわれています。当時は、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿をはじめ、神楽殿、桜紋や能舞台などもあり、現在の数倍の大きさでした。
江戸時代までは、中州に橋がかけられることはなかったため、参拝に訪れた人たちは歩いて川を渡るしかなく、着物の裾を濡らしながら詣でるのが習わしとなっていました。これは、音無川の冷たい水により最後の水垢離を行い、身を清めてから神域に入る意味がありました。
ところが1889年(明治22年)、8月に大水害が起こり、本宮大社は吞み込まれ社殿の多くが流出してしまいます。かろうじて4社の社殿が水害を免れ、現在の熊野本宮大社である地に遷座することになりました。遷宮120年を記念した年には、檜皮葺きの屋根が修復されます。シックな見た目が、重厚さと荘厳さをより一層醸し出しています。また、かつて多くの人の祈りを受け入れてきた大斎原には、流出してしまった中四社、下四社を祀る石で造られた小祠が建てられ、古い歴史を今も感じることができます。
主祭神・ご利益
鳥居をくぐると158段の石段を上ります。参道の両脇にはまっすぐ伸びた天に通じるような杉木立と、奉納幟が社殿へと導いてくれるようにずらりと立っています。神々が鎮座する4社の社殿は美しい熊野造の建築様式です。
第三殿(証誠殿)には主祭神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)が祀られています。第二殿(中御前)に速玉大神(はやたまのおおかみ)、第一殿(西御前)は、夫須美大神(ふすみのおおかみ)、第四殿(東御前)には天照大神(あまてらすおおみかみ)がそれぞれ祀られています。主祭神の家津美御子大神の証誠殿から中御前、西御前、東御前の順番で参拝していきましょう。
家津美御子大神は別名、スサノオノミコトです。スサノオノミコトはヤマタノオロチを退治後、自分の毛を抜き種々の木に変えて、それにより生じた山を木野または熊野と呼んだとされています。熊野本宮大社は、出世や家門繁栄のご神徳があります。他にも縁結び、五穀豊穣、安産子宝、厄除け、大漁満足など多くのご利益が授かるとされています。
熊野本宮大社の見どころ
満山社(まんざんしゃ)
社殿に参拝した後は、忘れずにその横にある満山社へもお参りしましょう。苔むした屋根が、緑の中に溶け込む美しい小さなお社です。結びの神、払いの神、八百萬(やおよろず)の神であり、全ての罪や穢れを引き受けるとされる玉石「満山護法の神の社」が祀られています。1889年(明治22年)の大洪水により本宮大社社殿と同じく流されましたが、2007年(平成19年)9月20日に再建されました。
八咫烏(やたがらす)ポスト
八咫烏(やたがらす)は、後に大和朝廷を開き、初代天皇になった神武天皇を大和地方へと導いたことで知られ、勝利へも導くとして日本サッカー協会のマークに採り入れられています。熊野の大いなる神である家津美御子大神の使者でもあります。熊野本宮大社境内には、八咫烏をモチーフにしたものがいくつかあります。
その一つが昔懐かしい丸い型をした八咫(やた)ポストです。見慣れた赤い色ではなく、八咫烏の色に合わせた神聖な色、黒いポストです。ポストの上には、翼を広げ今にも羽ばたきそうな八咫烏像が乗せられています。このポストは実際に使われていて、本宮地域の伝統的な和紙「音無紙」(おとなしがみ)で作られたはがきを社務所で購入し、ポストに投函します。
また、絵馬に八咫烏のポストが描かれた切手を貼って送ることもできます。八咫スタンプを記念に押印してくれまよ。旅の記念にいかがですか。
大国石・亀石
拝殿の前に大きな「大国石」と「亀石」と呼ばれる石が置かれています。向かって左側の大国石は触ると金運が上がり、右側の亀石は触ると健康長寿になるのだとか。どちらの石もご利益にあやかろうと触れる参拝客が多いようで、遠目でもツルツルに光っています。参拝の際は、こちらもおすすめです。
熊野本宮大社の特にパワーがある場所
大斎原(おおゆのはら)・大鳥居
大斎原の大鳥居と、現在の熊野本宮大社の鳥居は一直先に並びます。熊野本宮大社から徒歩10分ほどのところにあります。旧社または古宮とも呼ばれています。大斎原の大鳥居は高さ約34メートル、幅約42メートルと日本一の大きさを誇ります。
大鳥居をくぐると、そこはもう昔からの大きなエネルギーに包まれた神域です。撮影も禁止になっていて、何人も寄せ付けない神秘性を漂わせています。現在の境内よりも強い神気を保っている場所があり、「神様が降臨したところ」という気配が残されています。自然と神との調和、融合が感じられます。鳥居の奥の林は特に清々しい気が流れています。深呼吸をして、体の中に思い切りご神気を吸い込んでみましょう。
4月13日から15日は熊野本宮大社で例大祭が行われ、最終日の15日は大斎原がメイン会場になります。桜の名所としても知られ鮮やかな春の景観を楽しむことができます。
熊野本宮大社の授与品
熊野牛王宝印(くまのごおうほういん)
あらゆる災難から守るとされる厄除けの護符です。牛王とは、牛の胆のうにできた結石で貴重な霊薬でもある牛黄を、お札の朱印に印色として用いていたことに由来しているともいわれています。牛王は様々な寺社から発行されていますが、最も神聖だとされているのが熊野の牛王です。
熊野本宮大社では俗に「オカラスさん」とも呼ばれていて、88羽のカラス文字でデザインされています。鎌倉時代では「誓約書」、江戸時代は「起誓文」の代わりとして用いられるようになりました。現代では、玄関や家の中に貼り、家内安全や厄除け、盗難除けのお札として重宝されています。熊野のお土産としても喜ばれるのではないでしょうか。
まとめ
熊野本宮大社はよみがえり、再生の地として熊野の玄関口であり、熊野三山の中核をなす聖地です。神が降臨した旧社地大斎原をはじめ、見どころがたくさんあります。緑豊かな古道と一緒に、時間をかけてゆっくりパワースポットを満喫しましょう。
ライターネーム/サクヤ凛
熊野本宮大社基本情報
所在地: 和歌山県田辺市本宮町本宮1110
TEL: 0735-42-0009
アクセス: JRきのくに線紀伊田辺駅下車、バス「本宮大社前」下車すぐ
拝 観: 6:00~19:00
営業時間等 : ご祈祷の受付は毎日8:00 – 16:30まで
公式HP: 熊野本宮大社 (hongutaisha.jp)
大斎原基本情報
所在地: 和歌山県田辺市本宮町本宮1
連絡先: 熊野本宮大社(TEL0735-42-0009)
アクセス: JRきのくに線紀伊田辺駅下車、バス「大斎原」下車すぐ
所要時間: 見学自由(予約不要)
公式HP: 熊野本宮大社 (hongutaisha.jp)
(新型コロナ感染防止のため変更がある場合もありますので、どちらもあらかじめ最新の情報をご確認ください。)