金城霊沢

金城霊沢とはどんなスポットなのか?
金城霊澤は、石川県金沢市の兼六園の近く、金沢神社の境内に湧く泉です。国の特別名勝・兼六園は、敷地が広く、入口もいくつかあります。21世紀美術館の斜め前にある、真弓坂入り口横の急勾配の坂を登ると、県立美術館の前に金沢神社が鎮座しています。金城霊沢の名は、「金沢」という地名の由来となり、金運・開運のパワースポットとして有名です。

金沢神社は元々、兼六園の中に建てられた神社です。金城霊沢も兼六園の中に湧く自然の沢で、兼六園が造られる以前から湧き出していたのです。龍神が住まうとされる泉でした。加賀藩12代藩主・前田斉広(なりなが)公が、鎮守として金沢神社を建立する際、金城霊沢も整備されました。斉広公は龍神が大好きな殿様だったようで、「龍神様が住むというのに、野ざらしとは勿体ない」として、石畳にして屋根を設けたと伝えられています。

金城霊沢が金運のパワースポットとされる理由は、「いもほりの藤五郎」という青年の話が、金沢には残されているからです。藤五郎が山で掘ってきた山芋のひげ根には、土に混じり砂金がついていました。その砂金を洗った泉が、「金洗沢」(かなあらいざわ)と呼ばれていました。これが現在の、金城霊沢の泉だと伝えられています。藤五郎は砂金を、貧しい人に分け与え、里の人はみんなが幸せになったそうです。

加賀百万石として栄えた金沢は、江戸の武家文化・京都の公家文化との融合によって、独自の加賀文化が花開いた町です。加賀文化はカラフルで味わい深く、華やかさと上品な美しさをたたえています。加賀友禅・九谷焼・金沢箔などの伝統工芸は、今でも輝きを放っています。金沢の地に湧きでる金城霊沢は、豊かなパワーに溢れているのではないでしょうか。

 

金城霊沢の特徴
金城霊沢は、兼六園ができるよりもはるかに昔から、「金洗沢」と呼ばれていました。水が湧き龍神様がいらっしゃる泉と、地元の人々は認識していたそうです。金沢神社の棟札によると、江戸時代1794年には「金洗沢」は、「金城霊澤」と記されています。

1819年に斉広公は、兼六園の東南端にある金城霊沢の周囲に、丸い石の井戸胴を造り、瓦屋根の宝形造の覆屋を作っています。井戸胴の内径は153㎝・深さ180㎝、敷石には戸室石が用いられ、四半模様(斜めの筋交い模様)となっています。この四半模様は、加賀藩でも特別な場所に使われていた模様です。昭和11年には大改修が行われ、更に昭和39年には復元改築されました。

金城霊沢は、今も清らかな水がこんこんと湧き出していますが、水面は水鏡のように澄んでいて穏やかです。金城霊沢の水を全部抜くと、半日ほどで水が一杯になるほどの水量があります。底は石積みとなっていて、石の隙間から水が湧きだしています。

「いもほりの藤五郎」の話にも出てくる砂金ですが、金城霊沢は小立野台に差し掛かった、高台のような場所に位置しています。近くを流れる犀川の上流には鉱山があり、金が産出されていたそうです。犀川でも砂金が採れたと言われ、小立野台地も砂金層を含んでいたと伝えられています。

日本海側気候の金沢は、「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるほど雨が多い地域です。春夏は好天が多いのですが、冬は曇りや雨の日が多く積雪もあります。比較的高台にある金城霊沢ですが、常に水質の良い水が湧き出ています。干ばつでも枯れることもないし、どんなにすごい雨が降り続いても、溢れ出ることはないそうです。豪雨で周囲の用水に濁り水が流れていても、金城霊沢の水は地下から湧き出しているため澄んでいます。

そのため、金城霊沢は「不思議な泉」と呼ばれています。金城霊沢の水の成分には、鉄分・カルシウムが多く含まれています。明治初期には、オランダ人の医学校教師・ホルトルマン氏(金沢医科大学)が、水の分析をしています。良質の甘水で、心臓が弱い方や、貧血の方に効果があるそうです。

 

金城霊沢のご利益
金城霊沢は、金運・開運のご利益があると伝えられています。「いもほり藤五郎」が、この湧水で山芋を洗っていると、砂金が出てきました。そして、運が開けてお金持ちになったことから、金運・開運のパワースポットとされています。

 

金城霊沢のどこが見どころか?
自然豊かで季節ごとに美しい兼六園と、菅原道真(すがわらのみちざね)公が祀られた金澤神社の傍に、ひっそりと金城霊沢があります。この金城霊沢が、金運のパワースポットだと認識していない方は、東屋の休憩所くらいに思って素通りしてしまいそうです。古くから澄んで穏やかな水面のその下には、龍神様がいらっしゃるとされてきました。

金沢神社には、前田家の先祖でもある菅原道真公と、分霊として龍神様も祀られています。龍や蛇は水の神様です。兼六園にはかつて、斉広公の隠居所「竹沢御殿」がありました。昭和50年には、金沢神社の棟札が新たに発見されました。その棟札には「金城霊澤の傍らに鎮護するための神社を建立」という一文が記されているそうです。斉広公の龍神様への信仰心が伝わってきますね。

この棟札の発見により、金沢神社の建立された理由が分かりました。龍神様を信仰される方は、金城霊沢をまずお参りしてから、金澤神社を参拝しているそうです。そして、金澤神社の手水舎には、金城霊沢と同じ水源の水が流れています。手水舎の水を汲むことができるので、ぜひお水を頂いてみてはいかがでしょうか。

金城霊沢の覆屋の天井には、龍の絵が描かれています。かつては、幕府御用絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)の絵があったと伝えられています。しかし、昭和初期には損傷が激しかったため、地元の画家・広田百豊(ひろたひゃくほう)氏によって描き直されたそうです。

金城霊沢では明治時代の頃から、息を止めつつ時計回りに3周しながら願いを唱えると、願いが叶うとされてきました。これは当時の学生が言い出したようですが、龍神様がいらっしゃる聖なる泉ですから、清らかな心で願えば叶うのではないでしょうか。それにしても、息を止めて周るのは中々大変ですね。

金城霊沢の背後には、鳳凰山と呼ばれる築山があります。竹沢御殿を築いた時、この築山に全国から多くの奇石・珍石を集め、鳳凰の形に作り上げられた築山です。しかし、奇石も珍石も今は、持ち去られて無くなっているそうですが、ぼんやりと翼を下ろした鳳凰のシルエットのようにも見えます。

その鳳凰山には洞窟があり、金城霊沢の由来が記された「金城霊沢碑」があります。金城霊沢碑は、高さ1.2m・厚さ33㎝です。根生川石と呼ばれる、伊豆石の1枚岩が使われています。1851年に13代藩主・斉泰(なりやす)公により建立されました。「金城霊沢碑」の題額は、斉泰公の直筆を彫ったものとされています。

そして興味深いことに、12月下旬の冬至の日には、太陽が金城霊沢の真後ろに下がるそうです。日没前の午後3〜4時の間に、太陽が背後から差し込む金城霊沢は、黄金色の輝きを放ちます。金沢神社や、鳳凰山を築山したり、人工の池やを道を作った理由は、風水による「聖域」を、この金城霊沢を中心として築き上げるためだったそうです。太陽や月の動きも考えて作られているのですから、本当に素晴らしいですね。

金城霊沢が聖域として、大切に守られてきたことがよく分かります。兼六園や金沢神社を訪れる際は、元々そこに湧き出ていた金城霊沢に、できれば最初にお参りしてみましょう。今も変わらず金城霊沢には、強力なパワーが溢れています。

 

金城霊沢の一番パワーのある所
金城霊沢の清らかな水は、大地のパワーに溢れています。今でもこんこんと地中から湧き出していますが、水面は穏やかで澄みきっており、安定したエネルギーが感じられます。

 

金城霊沢のまとめ
清らかな水が湧き出す金城霊澤は、石川県金沢市の兼六園の側の、金沢神社の境内の一角にあります。金沢という地名の由来ともなった金城霊沢は、金運・開運のパワーがあるとして知られています。

金沢には「いもほりの藤五郎」という青年の話が伝えられてきました。藤五郎が山芋を金城霊沢で洗うと、砂金がついており、藤五郎は砂金を貧しい人にも分け与え、みんなが幸せになったそうです。今でも金沢の地中から湧きでる金城霊沢は、豊かなパワーに満ち溢れています。

 

ライター 梅花桜花

 

基本情報
住所:〒920-0936 石川県金沢市兼六町1-3
電話番号:076-234-3800(石川県金沢城・兼六園管理事務所)
定休日:無 
拝観時間:24時間参拝可能 
拝観料:無 
アクセス:
・城下まち金沢周遊バス・北陸鉄道路線バス・西日本JRバス
 「広坂・21世紀美術館」 下車 徒歩約5分
・まちバス 「金沢21世紀美術館・兼六園」 下車 徒歩約5分
・金沢ふらっとバス菊川ルート「国立工芸館・県立美術館」 下車 徒歩約1分
駐車場:無

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