兼六園

兼六園とはどんな庭園なのか?
日本三大庭園のひとつである兼六園は、石川県金沢市内の中心部に位置します。自然が織りなす美しい景色を一年中観賞できる景勝地です。兼六園でしか見られない日本庭園の趣きは、余すところなく集約した美しさが感じられます。広大な敷地を生かした廻遊式庭園は、様々な造園手法が駆使された見事な造形です。

兼六園は、昭和60年に国の特別名勝に選ばれました。国内のみならず海外からの人々も多く訪れる人気の観光スポットです。

春は桜が咲き誇り、園内の桜ヶ岡・蓮池門通り周辺が鑑賞ポイントです。「兼六園菊桜」と呼ばれる珍しい品種もあります。桜の時期は、夜間ライトアップされ夜桜を楽しめます。

夏には青々とした新緑の中、カキツバタ・ツツジ・サツキなどが兼六園に彩りを添えます。
秋は紅葉が、庭園と調和してそれぞれの美しさが際立ちます。

晩秋には兼六園の冬の風物詩、園内の松を「雪吊り」と呼ぶ雪対策の作業が始まります。重たい雪で松の枝が折れないように、木の頂点から縄で枝を支えます。

雪吊りにより、松は傘のような姿を描きます。中でも見事な枝ぶりの「唐崎松」は圧巻です。そして冬を迎え、真っ白な雪の清浄な世界に心が洗われ静寂さが心に沁みます。

兼六園の地には元々、加賀藩の様々な施設が建てられていました。藩祖・前田利家(まえだとしいえ)が建てた寺や、江戸から来た人々のための居住地でした。

庭園造りのきっかけとなったのは、江戸時代1676年に藩主の別荘に蓮池庭という庭園を作ったことです。蓮池庭は、客人や重臣たちの接待・行楽の場として使われていました。時代を経て庭園はさらに広がり、1822年には兼六園として命名されました。その後も何度も作庭工事が行われ、門や濠を壊し、池の拡張などにより現在の兼六園が築かれました。

兼六園には、「六勝」と呼ばれる6つの美しいスポットがあります。兼六園ならではの景色を楽しむためにも、訪れた際は六勝を素通りせずに観賞しましょう。六勝とはすぐれた景観の代名詞で、宏大・幽邃(ゆうすい)・人力(じんりょく)・蒼古(そうこ)・水泉(すいせん)・眺望のことを表しています。

中国・宋の時代の「洛陽名園記」(らくようめいえんき)という書物には、庭園では六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできないと記されています。広さ(宏大)を出すと静寂や奥深さ(幽邃)が少なくなり、人が手を加えると(人力)古き趣(蒼古)が失われ、滝や池(水泉)を作ると遠くを眺められない(眺望)とあります。

そして、結びには「この六つの景観が共存しているのは湖園だけ」と記されているのです。中国・洛陽の湖園は、すばらしい景観を持った名園として紹介されていました。兼六園とは、その湖園のように六勝を兼ね備えた庭園として、1822年に名付けられました。兼六園は、対照的な相反する景観の美しさを見事に調和させた庭園です。

兼六園への入園は有料ですが、開園時間までの早朝や桜の季節など、無料となる時間帯や季節があります。人気スポットで観光客も多く、早朝の静けさの中での観賞がおすすめです。

兼六園の側には、金城霊澤と呼ばれる湧水スポットがあります。この湧水には昔、砂金が湧きでていました。兼六園の大地のエネルギーは、力強いパワーがあることが分かります。

清々しい空気の中、六勝を兼ね揃えた美しい名園、兼六園を訪れてみてはいかがでしょうか。

 

兼六園の特徴
兼六園の地は昔、安土桃山時代1583年に加賀藩の初代藩主・前田利家が金沢城主となり、菩提寺や祈祷所を建立しました。その後、寺は移転され老臣の屋敷となっています。1601年には、徳川秀忠(とくがわひでただ)の娘・珠姫 (たまひめ)が輿入れしたため、江戸からのお付き人300人のための長屋が建てられ、江戸町と呼ばれていました。

江戸時代に入り、珠姫が亡くなった後、江戸町の住人は江戸に戻ったため長屋は取り壊されます。そして跡地に、加賀藩の建築や営繕を担う役所や作業所などが移築されました。1676年、5代藩主・綱紀(つなのり)は、城内に作事所を戻し別荘を建てます。この頃から、別荘の周辺を庭として作庭が始まったと言われています。

現在の蓮池庭は、当初「蓮池の上御露地」(うえおろじ)と呼ばれ、客人や重臣たちへのもてなしの場、清遊の場となっていました。1759年の大火により別荘などの一部が焼失しますが、11代藩主・治脩(はるなが)によって1774年に翠滝と夕顔亭、1776年に内橋亭が造営されました。

更に治脩は1792年に、藩校「明倫堂」と「経武館」を創建していますが、12代藩主・斉広(なりなが)により隠居所の建設のため藩校は移転されます。

1822年に隠居「竹沢御殿」が建設されます。斉広は、当時博識で知られた松平定信(まつだいらさだのぶ)に庭の名付けをお願いし「兼六園」と呼ばれるようになりました。竹沢御殿は、建坪だけで約4000坪・部屋数も200を超えるほどあったと言われています。兼六園の半分近くが御殿だったようです。

しかし、斉広は竹沢御殿の完成した2年後に亡くなり、13代藩主・斉泰(なりやす)により竹沢御殿は取り壊されました。斉泰は、霞ヶ池を広げたり、美しい姿の木を植え、庭の拡張や整備を進めます。1860年には、門や塀を取り壊し一大庭園を築きます。

1863年に母の隠居所として巽御殿(現在の成巽閣)を造営して、ほぼ現在の兼六園の形のようになりました。明治7年には、加賀藩の外庭であった兼六園は、市民に開放され周辺には多くの茶店ができました。大正11年に国の名勝に指定され、昭和60年には特別名勝へと格上げされました。

平成12年、明治初期に取り壊された「時雨亭」「舟之御亭」(ふなのおちん)が再興されました。更に新しい庭園も整備されています。

兼六園は常に、人手が加えられ整えられています。けれども、日本庭園の古き趣きはいつまでも残され、六勝の優れた景観を失うことはないでしょう。

 

兼六園のどこが見どころか?
国の特別名勝である兼六園は、どこを切り取っても絵になる美しさです。季節ごとの趣きも見応えがあり、ゆっくりと散策したい観光スポットです。霞ヶ池・瓢池・長谷池などいくつもの池の側には、ベンチや休憩所が設けられています。池ごとに違う形・木々・建造物などを楽しめ、思う存分心ゆくまで眺められるのも魅力です。

兼六園には六勝を表す場所があります。宏大が千歳台、幽邃が常磐ヶ岡~ひさご池の林、人力は曲水や池や築山、蒼古は常磐ヶ岡の白龍湍や山崎山の曲水の流れ、眺望は高台で見晴らしがよいこと、水泉は高台でありながら水が豊富であることです。

一勝「徽軫灯籠」(ことじとうろう)
兼六園と言えば、徽軫灯籠の写真が思い浮かぶかもしれません。霞ヶ池の淵にある灯篭は、2本の脚が特徴的です。琴の弦を支える琴柱に似ていることから名付けられました。大きな霞ヶ池と周辺の木々、そして灯籠の配置は、何とも言えない日本の美しさが感じられます。秋の紅葉・冬の雪吊りなど、季節毎の異なる景色を味わえます。

二勝「瓢池」
ひょうたんのような形をした瓢池は、周辺を木々に囲まれ静寂と荘厳な雰囲気が醸し出されています。池の奥には高さ6m程の翠滝があり、滝を流れ落ちる水音も趣きを添えます。周囲には枝垂れ桜が植えられ、近くに兼六園の中で最古の建造物である夕顔亭もあります。

三勝「噴水」
兼六園には、日本初と言われる噴水があります。噴水の場所より高所にある、霞ヶ池から水を流し水圧を利用した噴水です。高低差や水圧を生かした噴水が、江戸時代に作られていたことに感銘を受けます。

四勝「根上松」(ねあがりのまつ)
根上松は40本以上あり、その名の通り根が地上から出ている松です。根に盛り土をして成長させ、その後根を見せるために土をどけています。大地に根を張る松の力強さが感じられます。

五勝「曲水」
兼六園の庭園内には、曲がりくねった小川が流れています。曲水と呼ばれる小川のせせらぎから、癒されることでしょう。5月にはカキツバタが、曲水周辺を美しく彩ります。

六勝「眺望台」
兼六園の高台には、眺望台が設けられています。庭園はもちろんのこと、金沢の街並みも望めます。周囲の医王山・卯辰山などの雄大な山の景色も眺められます。高台からの清々しい景色に、日常を忘れて清々しい気分になれることでしょう。

兼六園は、何度も訪れたくなる素晴らしい庭園です。

 

兼六園の一番パワーのある所
加賀百万石の大名・前田家の居城の外庭であった兼六園は、厳かで雅な加賀の文化を象徴するかのような完璧な美しさです。

兼六園の側にある霊水・金城霊澤から、兼六園の大地のエネルギーには力強いパワーが漲っていることがわかります。

兼六園を散策してみれば、美しい景色と清らかな空気に癒されることでしょう。

 

ライター 梅花桜花

 

基本情報
住所:〒920-0936 石川県金沢市兼六町1
電話番号:076-234-3800
アクセス:
・北鉄・JRバス「兼六園」バス停下車    徒歩すぐ
・兼六園シャトルバス「兼六園」バス停下車 徒歩すぐ
・城下まち金沢周遊号「兼六園」バス停下車 徒歩すぐ

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