沼名前神社

崖の上のポニョのロケ地で有名な沼名前の「沼名前神社」
鞆の浦の町と海を護る「沼名前神社」。沼名前と書き「ぬなくま」と読む、鞆の浦を代表する神社です。沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)は、鞆祇園宮(ともぎおんぐう)とも呼ばれ、鞆の浦の西方の山麓に鎮座しています。

鞆の浦で執り行われる祭の多くは沼名前神社が舞台になり、平安時代の延喜式という法令にも記されるなど歴史がある由緒正しい神社です。海上安全を祈願する大綿津見命(おおわたつみのみこと)が祀られている「渡守(わたす)神社」と、須佐之男命(すさのおのみこと)が祀られ無病息災のご神徳がある「祇園社」。この2社が明治時代に合併して、沼名前神社になりました。

名称は変わりましたが、現在も鞆の浦の人々は、「祇園さん」「ぎょんさん」と親しみを込めて呼んでいます。また、沼名前神社境内には,豊臣秀吉が愛用したとされる能舞台があります。国内で唯一持ち運びができ、国の重要文化財に指定されています。

 

沼名前神社の由来
広島県福山市鞆(とも)町に位置しています。社伝によりますと、今から1800数十年前の仲哀(ちゅうあい)天皇の2年、神功(じんぐう)皇后が、瀬戸内海を船で渡っていた際、海中より霊石が浮かんできたため、これを神璽(しんじ)として斎場を設け、大綿津見神を祀り海路安全を祈ったことが始まりとされています。また、神功皇后が再びこの浦に立ち寄り、綿津見神の大前に「稜威の高鞆」(いづのたかとも)という、弓を射る時に使った武具を納めて、お礼をされたことからこの地が鞆と称されるようになったと伝えられています。

これに対して須佐之男命は、鞆祇園社(とものぎおんしゃ)に祀られていました。元は鞆町内の関町に鎮座していましたが、1599年(慶長4年)火災に遭い社殿が移転されて、草谷(現在地)に遷座します。この鞆祇園社の創建は不明ですが、京都の八坂神社の元社と伝えられています。

1876年(明治9年)綿津見神を合祀し、相殿として奉斎され現在の沼名前神社が成立しました。沼名前とは、泥沼の場所に入り江が深く屈曲して隈(くま)を形成した土地のことで、この地に社殿が鎮座したためその名前が付けられたと思われます。

 

沼名前神社のご祭神・ご利益
海の神である大綿津見命(おおわたつみのみこと)と、日本の三貴神の一人、須佐之男命(すさのおのみこと)をお祀りしています。海上安全・漁業繁栄などの仕事運をはじめ、家内安全・病気平癒・学業成就・安産等のご神徳があります。地元の人達に古くから慕われ続けている沼名前神社には、多くの人が祈願に訪れます。

 

沼名前神社の最もパワーがある場所
能舞台
境内には、かの豊臣秀吉が将兵らのために造ったとされる組立式能舞台があります。この能舞台は1620年(元和6年)京都・伏見城が解体され廃城になったとき、福山城主の水野勝成が二代将軍の徳川秀忠から拝領し、のちの1650年代、鞆の津祇園社(現 沼名前神社)に寄進しました。桃山建築様式の能舞台には、喜多流創始者で喜多七太夫が初舞台を踏んだことでも知られています。

当初この舞台は、簡単に分解して移動ができるコンパクトな組立式でしたが、現在はこけら板の葺き、楽屋、鏡の間、橋掛りが常設されて、固定されています。ただ、組立式能舞台として国内に残っているものでは唯一のもので、昭和28年、国の重要文化財の指定を受けました。現在でも能楽祭の舞台として利用されています。

一重切妻造、桁行5.45m、梁間5.45m、屋根こけらぶきの構造です。かつて豊臣秀吉が愛用したこともあり、秀吉の金運、 恋愛運にあやかってパワースポットとしても人気があります。

 

沼名前神社の見どころ
祭事
鞆の浦のイベントの中心地である沼名前神社では、1年を通してさまざまな祭事が行われています。毎年2月第2日曜日には「お弓神事」が催されます。元は神功皇后が「稜威の高鞆」(いづのたかとも)を納めたのが始まりとされ、いつしか年頭に悪鬼を祓い新年の平穏無事を祈る破魔弓の行事へと変化していきました。福山市の無形文化財に指定されています。

境内社の武芸の神、鞆八幡神社を前に囃子言葉が延べられ、それに合わせて「弓主」である凛々しい若者が弓を射て、邪気を払って春を呼び込みます。弓主の放った矢を3歳ごろの「矢取り」と呼ばれる幼児たちが、親に手を引かれ鈴を鳴らしながら回収していくのですが、その姿がなんとも愛らしくユーモラスで毎回笑いを誘います。お弓神事は鞆の浦の2月の風物詩になっています。

毎年6月末日には、沼名前神社で日本最古の謂れを持つ神事「茅の輪くぐり」が行われます。大きな芽の輪を粛々とくぐり抜け、穢れを祓い清める神事です。当日祭事が終わると、茅の輪の一部を持ち帰り、それを自宅などに飾ると厄除けになると、古くより鞆の浦の地に伝わっています。

7月第2日曜の前夜には日本三大火祭りのひとつ「お手火(おてび)神事」が行われます。氏子衆が頭から水をかぶり長さ4m、重さ150㎏の巨大な松明(たいまつ)3体を2時間以上かけて担いで石段を登る、勇壮な火の祭典です。須佐之男命の神輿渡御(みこしとぎょ)のためのお清めと、氏子の厄払い・無病息災を祈願し、何世紀も前から鞆の浦の地で続けられてきました。

大手火が拝殿前まで運ばれると、神輿を拝殿に納めて深夜まで盛大な火祭りが斎行されます。その後3体の燃える大手火から、町民は自分の小手火(こてび)に神火を移して持ち帰り、自分の家を清めます。このため、その夜の鞆の浦は、小手火の炎がそこかしこで見える光景が繰り広げられます。

鞆の浦で1年でもっとも大きなお祭りは、沼名前神社の摂社・渡守神社の例祭「おおまつり(秋祭り)」です。9月の中旬金土日の3日間開催され、町の内外から多くの人々が訪れ鞆全体が大いに賑わいます。

鳥居
沼名前神社の参道は、大正時代から戦前にかけて栄え、鞆銀座と呼ばれるほどでした。その参道には、ユニークな鳥居があります。まず目に付くのが町家の手すりに突き当たるように建てられた「一の鳥居」。

そして境内最下段には笠木の両端に「鳥衾(とりぶすま)」が付いた「二の鳥居」があります。ちなみに「鳥衾」というのは鳥の寝床という意味があるそうです。鳥衾形鳥居と称される二の鳥居は、寛永二年(1625)、水野勝重(後の福山藩2代藩主勝俊)が長男勝貞(後福山藩3代藩主)の誕生に際して、その息災延命のため寄進したものです。鳥衾形鳥居は他に類がなく、日本では沼名前神社のみとされていて、広島県指定重要文化財に指定されています。

石燈籠
拝殿前左右に建てられた石燈籠は、江戸時代慶安四年(1651)、水野勝貞が祖父勝成重病と聞き、病気平癒を願って奉納したものです。総高3.24mの大型のもので、近世初めの社前献灯として標本的な燈籠だとして福山市指定重要文化財になりました。

力石
境内社鞆八幡神社隣に、20個の力石があります。楕円状の形をして全て花崗岩の力石は、重さ230㎏から118㎏あり、吉凶を占うことから始まったと云われています。この力石は江戸時代から明治時代に、鞆港の仲仕が祭礼の時などに力比べをした石を奉納したものです。また、力石には海上安全の願いも込められています。福山市重要文化財に指定されています。

 

まとめ
古い町並みが残る鞆の町は古寺も多く、歴史を感じさせます。今でも当時の面影を残す港町には、祭や式典の中心となる沼名前神社が鎮座しています。格式高い神社でありながら地元の人に、「祇園さん」と呼ばれ愛される沼名前神社。秀吉遺愛の能舞台は観光スポットとしても人気があるそうですよ。

 

基本情報
住所:広島県福山市鞆町後地1225
電話番号:084-982-2050
公式HP:https://tomo-gionsan.com/
アクセス:JR福山駅南口から鞆鉄バス鞆線で「鞆の浦」下車 徒歩10分
駐車場:無・
近くの有料駐車場を利用
時間:午前9時~午後4時
休み:なし
料金等:なし
*最新情報は公式HPでご確認ください。

 

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