豊臣家と最もゆかりが深いとされる大阪豊國神社
大阪府大阪市中央区に鎮座する大阪豊國神社は、大阪城内に鎮座し、大阪城の守護神として崇められるパワースポットです。そんな大阪豊國神社とは一体どんな神社なのでしょうか?今回は、「大阪豊國神社」の人気の秘密や歴史、ご祭神、ご利益、見どころ等、ポイントごとに紹介していきます。
大阪豊國神社はどんな神社?特徴は?
大阪豊國神社は大阪城内桜門正面に鎮座し、豊臣秀吉、豊臣秀頼、豊臣秀長を御祭神に祀る神社です。大阪城は、11年もの歳月をかけて織田信長の猛攻に対抗し続けた石山本願寺の跡地。秀吉が天下を統一し、居城を決めた土地といわれています。あの信長でさえも攻略を諦めた大阪城の中に鎮座し、豊臣氏に最もゆかりの深いパワースポットです。
緑に溢れ、四季折々の自然の美しさも見どころの1つ。年間を通して多くの祭りや行事が行われ、毎年3月下旬から4月上旬にかけて「大阪城春まつり」と呼ばれる桜の花見イベントを開催。神社周辺は梅や桜の花でいっぱいになり、桜のトンネルを楽しむことができます。
神社境内には、日本の著名な作庭家とされる重森三玲氏によって作られた「秀石庭」や、日本彫刻界の第一人者・中村晋也氏が製作した豊臣秀吉の像などがあります。
大阪豊國神社の歴史
大阪豊國神社は、もともと1868(明治元)年に大阪で明治天皇の行幸が行われた際に、豊太閤(豊臣秀吉)をこの清浄な地・豊國神社に奉祀するよう明治天皇からのお言葉があり、京都・豊国神社の大阪別社として創建され、1879(明治12)年に社殿が落成。
大阪城は、陸軍省の所管だったことから神社を建てることができず、現在の大阪市中央公会堂がある場所に創建されています。1921(大正10)年、京都の豊国神社から独立。府社に列格した際、神社名の読みを、「ほうこく」に改めました。
大阪城への移転は、戦後の1956(昭和31)年のことで、再び大阪市より神社移転の要望が上がり、大阪城の二の丸への移転が決定しました。
1961(昭和36)年、大阪市庁舎を増築する為、現在地へ遷座。現在の豊臣秀吉像は彫刻家の中村晋也によって2007(平成19)年に復元され、1943(昭和18)年以来、実に64年ぶりの復元となっています。
大阪豊國神社のご祭神
大阪豊國神社のご祭神は、豊臣秀吉、豊臣秀頼、豊臣秀長です。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)
豊臣秀吉は戦国時代から安土桃山時代にかけての戦国大名で、織田信長の跡を継いで天下を統一。戦国三英傑の1人です。若くして織田信長に仕え、武士としては初めて関白となり、豊臣姓を名乗るようになりました。
天下統一後には太閤検地や刀狩を行い、全国的な政策を推し進め、朝鮮にも二度出兵しています。一代で成り上がったことから、立身出世や勝運のご利益があるとされ、縁結びのご利益もあるといわれています。
豊臣秀頼(とよとみひでより)
豊臣秀頼は秀吉の三男で、秀吉の側室・茶々(淀殿)の子にあたります。秀頼は、父の意思を受け継ぎ、高さ約19mの京の大仏(方広寺大仏)と、その大仏殿の再建を進めましたが、方広寺の梵鐘の鐘銘をめぐって起こった大阪の陣で、徳川氏率いる江戸幕府と交戦。
2度に亘る大阪の陣で大阪城は落城し、豊臣氏(羽柴宗家)は滅亡しました。生前には、戦乱で荒れ果てた多くの寺社に寄進し、その伽藍や社殿の再建を図っています。秀頼の寄進によって建立された東寺金堂や北野天満宮等の伽藍や社殿などは、国宝や重要文化財に指定されているものも多いそうです。
豊臣秀頼の主なご利益は、秀吉公と同じく、出世開運や勝運、仕事運に関することです。
豊臣秀長(とよとみひでなが)
大和・紀伊・和泉の三ヶ国と河内国の一部を従える約110余万石の大名となった豊臣秀長は、秀吉の異父弟で、秀吉の天下統一に貢献した人物といわれており、「大和大納言」と尊称されました。また、豊臣政権における調整役として兄・秀吉を支え続けたとされています。
豊臣秀長のご利益としては、秀吉公と同じく、出世開運、勝運、仕事運に関することです。
大阪豊國神社のご利益とは?
大阪豊國神社の主なご利益は、立身出世、仕事運全般などが挙げられます。
大阪豊國神社の見どころとは?
次は大阪豊國神社の見どころについて見ていきましょう。大阪豊國神社の見どころについては以下の通りです。
本殿・拝殿
大阪豊國神社の本殿と拝殿は、1873(明治6)年に京都の阿弥院峯墓前を本社として造営されました。唐破風に千鳥破風を重ねた建築様式で、その後、中央公会堂建設のための移転を経て、太平洋戦争後の1961(昭和36)年に当地へ遷座。
秀吉公と最も縁の深い大阪城は、あの織田信長が11年かけても容易に陥落しない為に「要害堅固の地」として知られています。
秀吉公の銅像
現在の豊臣秀吉公像は高さ5.2mの銅像で、2007(平成19)年に日本彫刻界の第一人者・中村晋也氏によって再建されたものです。最初にできた像は、太平洋戦争の戦局の激化と物資の不足を補う為、1943(昭和18)年に政府に供出されてしまいましたが、約60年の歳月を経て、現在の銅像が完成しました。
一部現在の時代考証に矛盾する部分には修正を加え、文化的価値を併せ持つ旧像を復元した形となっています。出世開運祈願で神社を訪れ、勇ましい秀吉公の銅像の前に立ち止まる人は後を絶ちません。
秀石庭(しゅうせきてい)
大阪豊國神社の「秀石庭」は、かつての地名もかけ合わせた枯山水庭園で、「秀吉公の豪健な庭園」という意味が込められています。「蓬莱山石組(ほうらいさんいわぐみ)」と呼ばれる伝統的な日本庭園の手法を用い、巨石を組み合わせて「石山」を表現しています。
七夕神社
大阪豊國神社の境内社の1つである七夕神社には、稚日女尊(わかひるめのみこと)と宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)が祀られており、良縁成就や安産、芸事上達のご利益を求めに、たくさんの人々が参拝に訪れます。女性には特におすすめですよ。
若永神社
若永神社は火難避けの神様として400年以上続く稲荷神社です。元々は、豊臣秀吉公の御用商人であった豪商「淀屋」の屋敷内に鎮座していましたが、地下鉄御堂筋線の工事のため、1度目は昭和2年に、2度目は大阪城に当社が遷宮された昭和36年に現在地に遷座されました。ご祭神には、宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)が祀られています。
大阪城
「日本三名城」の1つに数えられる大阪城は、16世紀後半、石山本願寺跡に秀吉公が築いたものですが、大阪城の遺構はほぼ埋没しており、現在残る建造物は全て江戸時代以降のもので、一帯は「大阪城跡」として国指定の特別史跡に指定されています。天守閣は復興天守と呼ばれており、江戸時代の1665年には落雷で焼失したといわれています。その後1931年に復興されてから90年以上の歳月が流れました。大阪城天守閣の拝観料は大人が600円です。
大阪豊國神社のお守り・御朱印帳
せっかく神社の参拝に訪れたなら、お守りや御朱印はチェックしておきたいですね。次は、大阪豊國神社で販売されている「お守り」「御朱印帳」について見ていきましょう。
お守り
大阪豊國神社のお守りといえば「出世開運」ですよね!出世開運にちなんだお守りは大きく4種類に分かれており、そのうち、「天然瓢箪」「木製瓢箪(大)」「木製瓢箪(中)」など瓢箪の形をしたお守りが実に種類豊富に取り揃えられています。中には、瓢箪に駒がついたものも。
七夕神社にちなんだ「むすび守」は良縁祈願に、「芸事上達守」は芸事の成就を祈願するお守りとなっており、無数の星がちりばめられています。純白な若永神社の「輝守」も女子人気の高いアイテム。光にかざすとキレイなお守りです。
御朱印帳
大阪豊國神社のオリジナル御朱印帳は3種類で、黒(白の紅葉バージョンもあり)を基調とした絢爛豪華な御朱印帳(初穂料1,000円)の表紙には、美しい桜と拝殿が描かれ、背表紙には秀吉公の兜が描かれています。
桜の御朱印帳(1,000円)はライトピンクを基調としたもので、白い牡丹の花の絵柄と、ワインレッドの色合いがおしゃれな1冊です。そのほかに鳥居や御神木がモチーフの紺色の御朱印帳もあります。
御朱印は通常の御朱印(300円)と正月限定(三が日限定)の特別朱印(500円)があり、正月限定の御朱印は日毎に御朱印が異なります。
大阪豊國神社で特にパワーがある場所は?
大阪豊國神社で特にパワーがある場所は、大阪城と本殿です。ご祭神が祀られている本殿はさることながら、11年もの攻防に耐えた大阪城一帯がパワースポットといえます。
まとめ
大阪城公園内に鎮座し、豊臣家と最もゆかりが深いとされる大阪豊國神社。信長が11年もの歳月をかけても落とせなかったという石山本願寺のあった場所であり、秀吉公が天下統一の拠点として築城した地です。仕事運、立身出世運を上げたい方は是非訪れてみてはいかがでしょうか。
ライターネーム Kikumikan
基本情報
住所:大阪府大阪市中央区大阪城2-1
電話番号:06-6941-0229
拝観時間:9:00~17:00
定休日:年中無休
HP:https://www.osaka-hokokujinja.org/
駐車場:あり(有料)
アクセス:
・大阪メトロ谷町線 谷町四丁目駅1-B出口よから徒歩約13分
・大阪メトロ谷町線 天満橋駅3番出口から徒歩約15分
(それ以外のアクセス方法は→https://www.osaka-hokokujinja.org/access/)

