法隆寺

強い力が集まる聖徳太子ゆかりの地「法隆寺」
法隆寺は、奈良県生駒郡斑鳩町にあります。あまりにも有名な法隆寺と言えば、様々なワードが浮かんでくるのではないでしょうか。

聖徳太子(しょうとくたいし)を始め、日本最古の五重塔・飛鳥時代・日本初の世界遺産登録など、歴史に詳しくなくても次々と思い浮かびます。法隆寺がどれだけ世に知られた、素晴らしい寺院であるかが分かります。

法隆寺の広大な敷地には、飛鳥時代に建立された多くの建造物が残されており、世界最古の木造建築群として知られています。国宝や重要文化財の指定数は、驚くほどの数字です。

建造物の他にも、多数の優れた仏教美術品が所蔵され、国宝だけでも38件・150点あります。重要文化財まで含めると、約3000点もの数に及びます。法隆寺と周辺地域は、仏教建造物として、平成5年に世界文化遺産に登録されました。

飛鳥時代の英雄・聖徳太子は、601年に斑鳩の里に「斑鳩宮」を造営しました。その後、太子の亡き父・用明天皇(ようめいてんのう)のために、斑鳩宮のそばに寺院造立を発願し、607年頃に法隆寺が完成したのです。

太子は仏教真理を深く追求し、政治では「冠位十二階」「憲法十七条」などの制度を整え、日本の文化的基盤を築き上げました。

太子は後年、その豊かな才能と万能ぶりから、人々から敬われ太子自身が信仰の対象となっていたそうです。観音菩薩の生まれ変わりとも、信じられた人物でした。太子亡き後も、法隆寺は学問の社として大切に護られてきました。

長い歴史の中で、戦火に巻き込まれた寺院が数多い中、法隆寺は飛鳥時代の文化の象徴として現存している貴重な寺院です。法隆寺は強い力が集まるパワースポットとしても知られ、絶えることなく多くの人が訪れています。 


法隆寺の特徴
法隆寺の歴史は、用明天皇自らが病気平癒を祈り、寺院建立を発願されたことが始まりです。しかし、用明天皇は崩御されます。用明天皇の遺志を継ぐべく、聖徳太子と太子の叔母・推古天皇(すいこてんのう)によって、607年に法隆寺が建立されました。

「日本書紀」では670年に法隆寺が焼失したと記されており、後に今の場所に再び建立されたと考えられています。

法隆寺の境内は、大きく分けて2つに分かれています。金堂・五重塔が中心となる西院伽藍と、八角堂の夢殿が中心となる東院伽藍に分けられます。

東院伽藍は、元々は太子一族が斑鳩宮を建て移り住んでいた跡地です。太子の薨去後、山背大兄王(やましろのおおえのおう)一族が斑鳩宮に住んでいましたが、643年に蘇我入鹿(そがのいるか)の兵により、斑鳩宮が焼き払われ、山背大兄王の一族は自決に追い込まれたとされています。

奈良時代739年頃に、行信僧都(ぎょうしんそうず)が、太子が住まわれた地が荒廃しているのを嘆き、東院伽藍が建立されました。

そして、西院伽藍は元々法隆寺が造られた場所です。西院伽藍の金堂内に安置されたご本尊・釈迦三尊像には、光背銘が残されています。「623年、聖徳太子の冥福のため、鞍作止利(くらつくりのとり)が造った」と記されていることから、ご本尊に太子のお姿をうつされたと考えられています。

聖徳太子という名も、そもそもは後世に付けられた名前です。人々が如何に太子の功績を称えていたのか窺うことができます。

また、金堂内部にはかつて、敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)・アジャンター石窟群の壁画に並ぶ、世界的にも貴重な壁画がありました。しかし、昭和24年の火災によって壁画が焼失しています。世界に誇る至宝を失ったことにより、日本では文化財保護法が制定されました。

現在はレプリカの壁画となっております。また、焼け残された元の壁画も、大切に収蔵庫に保管されています。

創建当初は、斑鳩寺(いかるがでら・鵤寺)と称されていましたが、後に法隆寺と改められました。法隆学問寺としても知られています。飛鳥時代から遙かなる時を超えて、法隆寺は古代寺院・仏教文化を今に伝えています。 


法隆寺のご本尊
ご本尊
釈迦三尊(釈迦如来・薬師如来・阿弥陀如来)
 

法隆寺のご利益
法隆寺は、古くから学問の寺とされてきました。そのため、学業成就・入学祈願・諸願成就などのご利益があるとされています。
 

法隆寺のどこが見どころか?
法隆寺は、境内全体が見どころと言えます。全体を「大垣」と呼ばれる築地塀で囲み、「法隆寺式伽藍配置」という配置となっています。中心部の西院伽藍には、五重塔・金堂が並び、中門・大講堂を繋ぐ回廊で囲まれています。東に向かう東大門を抜けると夢殿が建つ東院伽藍となります。

国宝・重要文化財の数からしても、目にするほとんどのものが貴重なものであり、1日かけてゆっくりと文化遺産を楽しみたいところです。

中門(国宝)
西院伽藍の正門となる重厚な中門は、飛鳥時代の建築の粋を集めた門です。翼を広げたように末広がりの屋根が門を覆っています。屋根を支える柱は、パルテノン神殿(ギリシャ)に用いられたエンタシス技法となっています。

中門は門の中央に立つ柱が特徴的で、中門には4つの柱間があり、日本では珍しい門です。門の左右には、睨みをきかせた迫力ある金剛力士像が安置されています。この像は奈良時代のもので、日本最古の仁王像と伝えられています。

五重塔(国宝)
法隆寺のシンボル・五重塔は、約31.5m(基壇上から)の高さがあります。飛鳥時代のもので、日本最古の五重塔であり、世界最古の木造建築物です。

五重目の軸部は初層の半分となり、深い軒の出により安定感が生まれています。下にある心礎には、お釈迦様の遺骨(仏舎利)が納められています。奈良時代初期の仏像群、お釈迦様の入滅場面を表した群像などが安置されています。

金堂(国宝)
西院伽藍の本堂にあたる金堂は、五重塔と同じく飛鳥時代に建立されました。金堂には多くの仏像が安置されています。中でも見どころは、釈迦三尊像です。聖徳太子の冥福を祈り造られたものと伝えられています。

毎年1月8日〜14日の間に金堂では、法隆寺で最も重要な行事「金堂修正会」(こんどうしゅしょうえ)が行われます。奈良時代768年から続く、国家安隠を祈願するための伝統行事です。

金堂は五重塔と共に、最古の木造建築で、法隆寺独特の勾欄に卍という字を崩した形の透かし彫り(卍崩しの高欄)などが見られます。どっしりと構えた金堂は2階建てに見えますが、2層目に部屋はありません。

四隅の柱には「昇り龍・下り龍」、天井には天人・鳳凰が飛び交う天蓋が吊され、仏教文化の煌びやかさが見られます。

夢殿(国宝)
東院伽藍の本堂にあたる夢殿は、聖徳太子が入滅した後に建立されたと伝えられています。回廊の中央に立つ夢殿には、法隆寺の秘仏「救世観音像」が安置されています。高さは178.8cmで、聖徳太子の等身大と伝えられています。聖徳太子は、当時かなりの大柄な人物であったことが分かります。

秘仏として護られてきましたが、明治時代から開扉されるようになりました。毎年4月11日〜5月18日までご開帳され、一般の方も拝観できるようになりました。他にも数多くの仏像が安置されています。
 

法隆寺の一番パワーのある所
法隆寺は五重塔で有名ですが、緩やかな大きな三角形には、精神・肉体の集中力を高め、森羅万象の力が宿るとされてきました。また、八角形の夢殿・西円堂もパワースポットとされています。そのため、夢殿・西円堂の間に建つ五重塔が、特に強い力が集まるパワースポットとされています。
 

法隆寺のまとめ
奈良県生駒郡斑鳩町に、世界遺産登録された法隆寺があります。広大な敷地には、飛鳥時代に建立された、多くの建造物が残されています。法隆寺は、世界最古の木造建築群として知られ、国宝や重要文化財指定の数は、約3000点もの数に及びます。

飛鳥時代の英雄・聖徳太子が601年に斑鳩宮を造営し、607年に斑鳩宮の隣に法隆寺が築かれました。長い歴史の中で、戦火に巻き込まれることなく、飛鳥時代の文化の象徴として現存しています。法隆寺は強い力が集まるパワースポットであり、多くの人が聖徳太子ゆかりの地を訪れています。

(ライター 梅花桜花) 


基本情報
〒636-0115 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
TEL 0745-75-2555
定休日   無
拝観時間  8:00~17:00(11/4~2/21は16:30まで)
拝観料   西院伽藍内・大宝蔵院・東院伽藍内共通 一般1,500円・小学生750円
アクセス  JR法隆寺駅より 徒歩約20分
      JR法隆寺駅より 法隆寺門前行きのバス 法隆寺門前 下車
      JR王寺駅より 春日大社・奈良行きのバス 法隆寺前 下車
      近鉄奈良駅より JR王寺駅・法隆寺行きのバス 法隆寺前 下車
駐車場    無
http://www.horyuji.or.jp/
※記載した金額等は2023年8月時点のものであり、変更の可能性があります。

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