田島神社

肥前国最古の神社「田島神社」
田島(たしま)神社は、佐賀県唐津市の呼子大橋を渡った加部島(かべしま)にあり、海のそば近くに鎮座しています。肥前国最古の神社といわれ長い歴史を誇る由緒ある神社です。

 

田島神社の由緒
田島神社の創建は不明ですが、九州はもとより全国的に最も古い神社の一つとして知られています。朝廷からの崇敬は特に篤く、奈良時代738年(天平10年)には、大伴古麻呂(おおとものこまろ)に詔命があって田島大明神(たじまだいみょうじん)の神号が贈られました。806年(大同元年)、封十六戸が充てられ、正四位に列せられると、中世以降は諸武将の崇敬を集めます。江戸時代に入ってからは唐津城主の祈願所となり、1871年(明治4年)国幣中社(こくへいちゅうしゃ)に列格して、毎年勅使が派遣されていましたが、戦後に宗教法人となり別表神社に編入しました。

 

田島神社のご祭神・ご利益
田島神社は、海陸交通安全、航海安全船舶守護、大漁満船、海運漁業者の崇敬が極めて厚く五穀豊穣、商売繁盛の祈願所として崇拝されてきました。古来より大陸の要衝でもあり、遣唐使は航海安全を祈願し、古社として崇敬され現在に至っています。社宝の備中国住人吉次銘(びっちゅうのくにじゅうにんよしつぐめい)の太刀は、国の重要文化財に指定されています。

ご祭神は、田心姫尊(たごりひめのみこと)・市杵島姫尊(いちきしまひめのみこと)・湍津姫尊(たぎつひめのみこと)の田島三神です。古代の神の時代、天照大御神が素盞嗚尊の剣をかみ砕いて息を吹きかけると、三柱(みはしら)の姫神が生まれました。

三柱の姫神は、夷狄鎮守(いてきちんじゅ)・航海・海上の守護神であることから、神功皇后の三韓征伐の際には、特に奉幣(ほうへい)祈願があったと伝えられています。その凱旋のおり、神功皇后は、殊勲を立てた日本武尊の息子で仲哀天皇の弟の稚武王(わかたけのみこ)をこの地に留まらせると後の731年(天平3年)、相殿に大山祇神とともに配祀(はいし)します。島の北部にある前方後円墳の瓢塚古墳(ひさごづかこふん)は稚武王のお墓と伝えられています。尚、殊勲を立てたのにも関わらず、稚武王がなぜ島に留められ、都に帰ることができなかったのかについては、歴史的にも様々な説があり詳しくはわかっていません。

宗像大社(むなかたたいしゃ)とご祭神が同じであること、宗像大社の辺津宮(へつみや)の鎮座地が宗像市田島であることから、ご祭神を遷座したとも考えられ、対馬との地理的な意味合いからもその関係性が指摘されています。また、玄界灘から見ると、日本六所弁財天の一社とされる脊振神社(せふりじんじゃ)・上宮を中心に左に宗像大社、辺津宮と田島神社で三角形を描く配置になっています。三角の形は、宇宙のエネルギーを集めたり、放出する力があるとされています。

 

田島神社の見どころ
楼門
海に面した鳥居をくぐると長い階段があり、重厚で立派な楼門があります。楼門から見下ろす海の景色も格別です。門の中と外では空気感が違い、門を抜ければ、私達人間の住む現実世界から神の住む、まさに神域への入口になっています。

狛犬
鳥居の下に鎮座する狛犬は、凛々しいお顔をしていますが、拝殿の狛犬はかなり年代も古く1830年(文政13年)の作とされ、阿吽両方とも愛敬のあるお顔で心和む表情をしています。また、燈籠狛犬は立ち上がって玉乗りをしていたり、玉の上で逆立ちをするなどユーモラスな姿が特徴的です。

太閤祈念石
豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、田島神社の神主らが勝利を祈念し7日間断食などして「大願成就するならばこの石が二つに割れる」と祈ったとされる「太閤祈念石」があります。満願が達した時に秀吉自ら、神前に熱祷をこめてこの巨石を槍で突いたところ、一山鳴動して真二つに割れたといわれています。

直径3メートルほどの大きさで正面が丸く、縦に深い割れ目があります。近年では大人気アニメ「鬼滅の刃」によく似た場面が出てくることから、コスプレして写真撮影するイベントが呼子町青年団主催で行われ注目されました。

力石
豊臣秀吉が名護屋城に在陣の際、その配下の武将たちが田島神社に参拝のおり、海岸より一抱えもある円石(まるいし)を社前に運び上げ、これを両手で頭上高く何回上げられるか、互いに力量を競い合った石とされています。

元寇の碇石
蒙古の軍船の碇(いかり)に用いられたとされる石が境内にあります。東方玄海の海中より引き揚げられたとされています。

御崎神社
御崎神社(みさきじんじゃ)は、作用姫神社の奥に鎮座しています。ご祭神は、級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長津姫命(しなつひめのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)の三神です。船霊(ふなたま)を守護神(しゅごしん)とする末社です。

文禄時代の豊臣秀吉による朝鮮出兵 (文禄・慶長の役)の際、軍船の小鷹丸(こたかまる)は、船首に真榊(まさかき)を立て、三種の神器を奉り、大陸と7度の往復から無事帰国を果たします。その後、神恩感謝のため船と共に御崎神社に奉納され、姫島の神々と船霊の御守護と共に、海上安全の守護神としてお祀まつりすることになりました。小鷹丸は、その速さから隼(はやぶさ)に例えられ、7度の航海にも堪えたことから波切丸(なみきりまる)とも呼ばれます。小鷹丸は、永く社頭の汀に繋留されていましたが、傷みが激しいため解体された後、船材の一部は現在、社庫に保管されています。

 

田島神社の最もパワーがある場所
佐用姫神社
田島神社には「肥前国風土記」に記された松浦佐用姫(まつらさよひめ)伝説にまつわる、佐用姫神社があります。朱塗りの建物で、田島神社拝殿への階段の途中に建立しています。松浦佐用姫尊(まつうらのさよひめのみこと)をお祀りする末社です。

松浦佐用姫(まつらさよひめ)伝説は、遠く万葉の時代から歌に詠まれてきました。山上憶良は「遠つ人松浦佐用姫夫恋(まつらさよひめつまごい)に領巾振りしより負える山の名」と詠んでいます。

『日本三大悲恋伝説』とは「羽衣(はごろも)伝説」、「浦島伝説」そして「松浦佐用姫伝説」といわれています。ただ「浦島伝説」でなく「竹取物語」という説もあるようです。

537年(宣化2年)、佐用姫は朝鮮半島出兵のため唐津に立ち寄った大伴狭手彦(おおとものさでひこ)と恋に落ちます。船出の日、佐用姫は鏡山から遠ざかる船に領巾(ひれ)を振り続けます。それでも名残が尽きず、船を追いかけます。

松浦川の川岸の岩(佐用姫岩)に足跡を残し、呼子の浦で名前を呼び、さらには加部島の天童山に登りますが、海原に船影はありません。佐用姫は悲しみに暮れ七日七晩泣きあかし、とうとう石になったということです。

その悲しみのあまり佐用姫が石になったとされる「望夫石」(ぼうふせき)が佐用姫神社にお祀りされています。望夫石に祈願すれば、強力な縁結びのご利益が授かるとされています。訪れる人の心を打つ「夫恋ひ」の万葉歌碑もあります。

 

まとめ
田島神社を海側から眺めると、鳥居が海に向かって建ち、海までも参道が続くような神秘的な光景が見られます。古くより海上交通の神として崇敬を集めている田島神社。また末社の佐用姫神では縁結びの効果が期待できます。

悲恋伝説にまつわる望夫石が残されているなどパワースポットです。あなたも太古の歴史とロマンを感じに、田島神社を訪れてみませんか。

 

ライターネーム/サクヤ凛

 

基本情報
住所:佐賀県唐津市呼子町加部島3965-1
電話番号:0955-82-3347
アクセス:
・車 長崎自動車道多久ICから車で60分
・JR JR唐津線、筑肥線唐津駅から、タクシー利用で40分
・バス 大手口バスセンターから、昭和バス呼子行き乗車、呼子(終点)で加部島行きに乗り換え、バス停 加部島中部下車、徒歩3分
駐車場:あり 30台(無料)
拝観時間:8:30〜16:30
拝観料:無料
佐賀県公式観光アプリ:http://saga-travelsupport.com/spot/detail.html?id=1122

 

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